【スポーツと興行の同時成立の難しさ】
2018.03.03先日の冬季オリンピックで証明された通り、スポーツの美しさや人々を虜にする力について疑いの余地はない。掛け値なしに、彼らの最高の技術やひたむきな涙や心からの笑顔に、我々は強く引き付けられる。
面白いもので、毎回オリンピック直前には競技場が間に合うのかとか、政治色が強いとかというネガティブキャンペーンが巻き起こりながら、これまた毎回オリンピック直後にはスポーツによる感動ポジティブキャンペーンの嵐が列島を包み込む。
やはりスポーツは偉大だ。美学とは個人の主観だが、私にとってスポーツの美しさは圧倒的であり、永遠に別次元の輝きを放ち続けるといっても過言ではない程の特別な存在である。
そんなスポーツの美しさをオリンピックの余韻と共に感じている中、そのスポーツを根底から冒涜する者が現れた。前WBCバンダム級チャンピオン ルイス・ネリ。良く見てほしいが「前」である。そう、ご周知のとおり先日の山中との世紀のタイトルマッチを世紀の愚かな行為でボクシングというスポーツを踏みにじった男。
昨年の山中とのタイトルマッチは、まさかのドーピング疑惑。しかもメキシコの牛肉を食べたことでドーピング反応が出たらしい。これは現地では良くあることだという苦し紛れの弁明。世界で最もボクシングが盛んな国でもあるメキシコで、こんな弁明がありえるんだろうか・・・。
そして彼がその牛肉を食べたのは場所はメキシコ・ティファナ。そう弊社メキシコ工場があるアメリカ・サンディエゴとの国境の街。しょっちゅうティファナ出張して現地で牛肉食べている私もドーピング検査に引っかかるというわけなのか。
くだらないにもほどがある。
そして今回の明らかに意図的な体重オーバー。前日軽量2.3キロ違うということはボクシングでいう二階級の違い。当日非公式の軽量では三階級違ったという話まであったよう。
ここでポイントはネリはまだ23歳で、無敗という点。要するに今回失格になろうと彼の無敗という経歴はキープされる。厳罰が下ってもまた時がたてばWBCタイトルマッチも出来るし、もっといえば、現在のボクシングメジャー団体は他に3つある。その他団体例えばWBAの試合なら出来るということだから、もうめちゃくちゃだ。
何故山中はこんな二階級も三階級も違うどうしようもない相手と試合をしなくてはならなかったのか?相手は前日軽量の時点で失格し、ベルトはく奪。当日数キロ重い相手との試合は山中が勝てばベルトを貰えるが、負ければ引退。ボクシングは17階級あり、当然ルールあるスポーツでストリートファイトではない。
正直誰がどう考えても勝てる要素は薄い。こんなのスポーツではない。試合をすべきではない。試合をすれば体重差で山中にとって大きな事故が起きるリスクも大きい。前回の敗戦から、この試合だけをモチベーションとしていた山中の胸中は・・・。
試合をすれば間違いなく後世まで語り継がれる日本ボクシング史上に残る偉大なるスーパーチャンピオン山中が壊されるかもしれない。
そして試合は行われた・・・。
スリップダウン含めてのダウンが5回。しかも2ラウンド序盤までという合計4分ほどの試合時間で・・・。バンダム級タイトルマッチでこの短時間でこれほどの数のダウンは稀というほかない。形の上では惨敗。
再度であるが、山中は何故試合をしたのか?ボクシングというスポーツとは言えない、さらに言えば殺されるかもしれない試合をしなくてはならなかったのか?
答えはいたってシンプル。「ボクシングはビジネスであり、試合とは興行であるから」である。
ここ数年で一番の話題の一戦にチケットは当然即完売。さらにはTV中継も決まっていた。そこにはスポンサーを含めた大きなお金が動いていた。特に近年のボクシングはお金でマッチメーキングが買えると揶揄される程、お金がモノを言うまさに巨大ビジネスであり、アメリカ・ラスベガス興行を見れば一目瞭然。2年前のパッキャオ vs メイウェザーで数百億円が1時間で動いたことは有名だ。
いちボクシングファンである私も、正直答えが見つからないからこそ、今回は深く考えさせられた。「スポーツ vs 興行」の同時成立の難しさ。極論から言えば、ボクシングはいくら強くてもお金がなければ世界チャンピオンにはなれない世界だ。よって興行と表裏一体なのは当然の理屈だと理解はしている。
しかしだ・・・。
反則行為で失格となり、その汚れた体でリングに上がり、誇り高き日本のヒーローを打ち負かしたネリに対してやるせない感情しかうまれない。彼は山中が退場した後も、陣営と共にメキシコ国旗を振りながらリング上で喜びを爆発させていた。我が日本のリングで、しかも聖地両国国技館のリングで。
何度も言うが、答えは分からない。でも分からないからこそ、今回は後味の悪さだけが残る。
しかしそんな中、一つだけ分かったことがある。
ネリはスポーツマンでもボクサーでもない。そして美しくもない。プロスポーツとは、ビジネスの側面があるからこそ魅せる美しさがあるべきだ。