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【日本のシンドラーと命のビザ】

2018.05.12

 題名を見て、ピンときた方も多いかと思います。そう、あの杉原千畝氏のことです。

 今回ドイツ出張の週末を利用して、2つの目的地に訪れました。まず一か所目はバルト三国の一つリトアニア。金曜夜にリトアニア・カウナスに入り、夜遅かったのでそのままホテルへチェックイン。

 そのホテルとは、あの杉原千畝氏が帰国直前までビザを書いたと言われるメトロポリタンホテル。ラッキーなことにも直前で予約が出来、値段も日本円で4,000円程でリーズナブル。

 まあ中の装い等を見ると納得の金額ですが、しかし歴史を感じる本当にいい雰囲気でした。ここであの杉原千畝氏がと思うと、はるばる来て良かったと心から感じることが出来ました。

 

 私が杉原千畝氏を知ったのは、本当に恥ずかしい話、今から20年以上前にスピルバーグの映画「シンドラーのリスト」見た直後。日本人としてあの映画の前に知っているべき偉人だと、後程後悔と共に強く感じるほどの衝撃でした。

 

 杉原千畝氏とは、「日本のシンドラー」とも呼ばれた外交官でした。彼は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたここリトアニアのカウナスで、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られています。

 しかも当時の日本政府の指示に背いて、独断でビザを書き続けるのです。その数6,000。即ち、6,000人ものユダヤ人を救った文字通り英雄です。

 そのビザを「命のビザ」と呼ばれているのです。

 

 実際、今回このカウナスで数人のリトアニア人と話をしましたが、皆杉原千畝氏を知っていました。そして彼らは口々に「この街に住んでいたら、みんな彼のことは知っているはずだよ」と。

 

 以前より私は、日本人として、自分が生きている間にどうしても来たい来なくてはならない場所の一つと思い続けていました。そして今回やっと実現しましたので感激もひとしおです。

 

 さらにあの杉原千畝氏と同じホテルに泊まっているというだけで、何とも言えぬ感情が芽生えます。

 

 翌朝、早く起き街を探索し、彼の職場であった旧リトアニア日本領事館がオープンと同時に入館。小さな建物で、およそ30分もあれば見渡せるほどの広さの館内。

 

 しかし彼のデスク、残された当時の記録やエピソード、ビザのスタンプや彼の直筆ビザ。見ているだけで自然と涙が止まりません。

 

 たった、たったの80年ほど前にこの場で起きた出来事。この窓からユダヤ人が押し掛けた風景が見えたであろう情景。自分もいつ殺されるか分からない中でのひたすら書いた命のビザ。

 

 言葉にならないとはこのことだろうと、人生最大級の衝撃を受けました。本当に言葉にならないんです。映画ではない、本当の現実がこの場で起きていたんです。たったの80年前に・・・。

 

 何とも言えない感情を抱きながら、カウナスバスターミナルまで歩きました。

 やはり涙が止まりません。バスにゆられ、同胞としての誇りを胸に次の目的地に向かいます。

 

 この度のもう一つの目的地は、ポーランド・クラクフ。そう、かのアウシュビッツ強制収容所。ここもまた、自分が死ぬまでに見るべきと強く思っていた場所です。

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