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【日本人横綱を失った損失】

2019.01.23

 稀勢の里引退。初場所前から、相撲ファンであれば誰しもこの流れになるだろうと予感しつつも、現実逃避からか奇跡が起きることを願っていたファンも多かったであろう。

 

 しかし現実は厳しく、初日から悪夢の3連敗、そして引退発表。

 

 日本人としてあの若乃花以来19年ぶりの横綱誕生ということもあり、昇進時は稀勢の里フィーバーと言っても過言ではない盛り上がりであった。個人的にも、あの昭和の匂いを感じさせる古き良き横綱は、この先なかなか出ないであろうという意味でもですが、実は何を隠そう、彼が萩原を名乗っていたころからのファン。そもそも私は子供のころから相撲ファン。

 

 これまた実はなんですが、忘れもしない2008年、まだロサンゼルスに住んでいるころに、大相撲LA場所が27年ぶりに開催されました。どうしてもチケットが欲しくって、当時広告代理店の友人に頼みに頼んで観戦したほど好きなんです。そして当日の一番の目的は稀勢の里観戦。彼がまだ小結でしたが、将来有望株の若手ということで、一部の相撲ファンからは将来を渇望されていた力士でしたから、鮮明に記憶に残っています。

 

 その稀勢の里目当てで観戦し、彼はなんと優勝!今から10年前の若手力士でしたので、当時は大きな番狂わせでしたが、一回戦から応援してたため、友人と大喜びし、お陰で大満足の一日となった記憶は今でもはっきり覚えています。

 

 そんな稀勢の里も、8勝7敗ばかり続く善戦力士と揶揄され続け、若手から中堅、気が付くとベテランとなり伸び悩みつつも、ようやく横綱に辿り着いた相撲人生。しかし周りのフィーバーにより、嬉しさよりもプレッシャーは計り知れないものがあったはずです。

 日本人相撲ファン全ての期待を一身に背負ってきた、彼の相撲人生。今までの横綱とは全く違う次元のプレッシャーであったことは、誰が見ても容易に想像できるはず。

 

 そして私の今回のブログポイントは、彼の大怪我です。彼は実質あの貴乃花以来の怪我しながらの逆転優勝という、歴史に残る一番で名実ともに人々の記憶に残る横綱となったわけですが、同時にあれがあったから相撲人生が終わったことを否定は出来ないと思います。

 

 そのポイントとは、あれらを美徳とし最高に美しい物語にしてしまう日本人の考え方に疑問符をというわけです。日本人は怪我をしながら強行出場とか、甲子園で5連投800球投げたとかというストーリーが大好きなんです。マスコミも一般人も。まあ、元々厳しいことで有名な鳴門部屋だったことも一因するのかもしれませんが・・・。

 

 しかしこういったことが美徳でないという時代が来ないと、日本のスポーツに発展はないと思います。要するにスポーツの場で死ぬのが美しいと思っている日本人が、この2019年でもたくさんいるということです。端から見ているファンは責任がないからいいでしょう。しかし本人は思いとどまってほしいですね。そのアスリートの将来が失われてしまうからです。

 

 稀勢の里は、あの怪我をした際に、親方が強制的に休場させていれば、確実にその後複数回の優勝は出来たはずです。1年以上も休めば、下半身が弱り最後の無様な相撲になることは目に見えて分かっていたわけですから。あの貴乃花も奇跡の優勝後、その怪我で7場所連続休場し、結果引退したわけです。

 

 今回引退後、どのメディアもあの怪我での優勝のシーンを必要以上に取り上げませんよね。そりゃ当然かって感じですが、それでは日本のスポーツの発展性はありません。結局誰も彼らのアスリート後の人生の責任取れないわけですから。

 

 休む勇気、治療する時間を与える勇気、それを大切なことだという風潮を創りだすこと、アスリートとファンとメディアが一体となりこの流れを作りあげてほしいと切に祈ります。

 

 ちなみにこの異常な流れを作り出している先進国は、間違いなく日本だけです。他国から見ると異常なんです。世の中がアスリートを壊しているということを各々が自覚しなければ、この流れはきっと変わりません。

 

 私は日本で行われる東京オリンピック開会式で稀勢の里の土俵入りが見たかった。この歴史的イベントで日本が世界に誇れる日本人横綱が、土俵入りを出来なくなった責任はいったい誰がとるのであろうか。

 

 全ての無責任から生まれたこの結果の代償はあまりにも大きいと感じるのは私だけだろうか。