社長ブログ   |  【イチローに支えられた25年間】

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【イチローに支えられた25年間】

2019.03.22

 イチロー引退。

 

 一連の流れを見ていると、さすがにその時期が近いなと感じていたところであったが、やはりいざ現実となるとこの一報は過去にない程衝撃的だった。

 

 MLB開幕戦をTV観戦出来たが、第2戦目は出張フライトの為見ることが出来ず。今となってはその出張先がアメリカだったというのも、また何か不思議に感じたが、14時間フライトの後現地空港到着。

 

 この時点で私はイチロー引退ニュースを知らない。いつものように北米用SIMカードを携帯に挿入しネットワークに接続。

 

 真っ先に目に入ったのは、まだ日本で行われている第2戦がおこなわれている試合時間中にも関わらず、MLB公式サイトが「イチロー引退」の第一報であった。

 

 焦ってすぐに日本のネットニュースを確認すると、確かに試合はまだおこなわれている。何かの間違いであってくれ!MLBの誤報であってくれ!と念じ、そわそわしながらアメリカの入国手続きをおこなう。無事入国し、次の乗り換えフライトゲートに移動中に、再度携帯チェックすると「イチロー試合後に引退会見」とのニュースがUPされる。

 

 久々に心臓がバクバクするほど、何とも言えない気持ちになった・・・。

 

 イチローは私より一つ年上の45歳。そう、まさに同世代。10代後半から、自分の生活の一部であると感じるほど、私は彼をフォローしてきた。

 

 25年前1994年、20歳の彼は、まさに彗星のごとくに時代のど真ん中にさっそうと登場した。前年プロ第一号ホームランをあの野茂から打ったとはいえ、無名中の無名選手。しかし日本人なのに名前がカタカタ。これも十分センセーショナルであったが、当時はどちらかというと、パンチ佐藤の方がカタカナネームの先行的な感じであったと記憶している。

 

 しかしこの20歳は、この年とんでもない成績を残し、一気にスターダムにのし上がる。普段は当時流行り始めただぼだぼファッションのいまどきの若者を、日本スポーツ界からハングリー精神文化を失くしたと揶揄する大人も多くいた。

 

 彼の試合を初めて肉眼で観戦したのが翌年。それから虜になり、毎年のように試合を見に行った。そして後年伝説となった、イチローVS松坂の伝説の初対決を見るために所沢まで行ったりと、まさに彼の一挙手一投足に注目していたた。

 これは私だけではなく、90年代の日本スポーツ界は間違いなく彼が中心であった。それは野球人気に陰りが出始め、Jリーグ開幕に湧くサッカーブームに真っ向から立ち向かうべく新しいヒーロー像。ON以来、やっと日本野球界にスーパースターが登場したからであった。

 

 私は子供のころから、それこそ勉強もしないで野球ばかりやっていた。世代的に、原・江川がヒーローであった世代だが、イチローの登場は本当にセンセーショナルであった。そもそもホームランバッターではない彼が、スーパースターになることは当時考えられなかった。

 

 私が大学生の頃、一緒に野球をしていたチームのエースが鹿児島出身だったんだが、肩を壊しつつも非常にいい投手だった。そんな彼にいつも聞かされてた自慢話が、イチローと練習試合で愛工大名電と対戦した時のエピソードだった。

 

「俺の渾身のストレートを、イチローは軽くバックスクリーンに打ち返しやがった!あんなに細いのに、とんでもないスイングスピードと打球だった。でも、あんなに飛ばされたことなかったから、打たれた瞬間笑いしか出なかったわ。俺のストレートは速いって(笑)。まあ、バケモンだと思ったね。」

 

 練習試合とはいえ、一緒のグラウンドで試合をし、彼と対戦したことが羨ましく、皆から羨望の眼差しであったことを記憶している。

 

 兎に角、彼には華があった。打っても、走っても、投げても、それこそヒーローインタビューにすら、皆魅了された。要するに、何をやってもカッコいいんだ。

 

 そして私が渡米した翌年の2001年、彼はシアトルマリナーズに決定。本当に鳥肌立つほど嬉しかった。あのイチローが自分の住んでいるアメリカにきてメジャーで試合をする!この興奮は言葉に表現できないほどだった。

 

 当時は学生で金もなかったため、シアトルに行きたくても行けずだったが、ちょうどその年、私の住んでいたサンディエゴにてパドレスとの交流戦3連戦があり、3試合のチケットを借金して購入。

 

 アメリカMLBの試合で、生イチロー観戦!結果3試合ともフル出場で大活躍。当時のシアトルはMLB伝説の最強チーム。その先頭にイチローがいた。

 

 私も渡米し、外国人となりアメリカでの生活環境や英語に苦労する毎日の中、球場でも見るとひときわ小さいイチローが、巨漢アメリカ人たちをなぎ倒す姿に、涙が出るほど勇気付けられた。がんばろう!がんばれる!!っという思いは何度も何度も彼からもらった。

 

 2006年と2009年のWBCは、まさに私の中でイチローのハイライト。アメリカで行われた試合は、会社をさぼって全試合観戦。

 

 2006年第1回WBC。アメリカ本土初戦相手は、その野球の母国アメリカ。アメリカとのプロ野球としての公式戦は史上初。今と違い、当時は勝敗を予測することすら恐れてしまうドリームチームが相手であった。ジーターやAロッド。

 その完全アウェイの異様な雰囲気のスタジアム。日本選手は恐らくこの雰囲気に飲まれていたであろう。相手がアメリカで、スタジアムもアメリカ。日本人ファンなんて、1%くらいであっただろう、このスタジアムの威圧的な雰囲気を忘れられない。スタンドの私も、完全に孤立し周りのアメリカ人から嫌な目で見られているのを肌で感じた。

 

 試合開始し、先行の日本のトップバッターイチローが打席に向かう。当然のごとく大ブーイング。私の肩身も益々狭くなる・・・。観客のアメリカ人は、日本なんかに負けるなんてこれっぽっちも思ってなく、20 vs 0 くらいになると信じている自信満々の顔。今と違いそんな時代だったから当然だ。

 

 後のプレイで有名になったアンパイヤ、ボブ・デービットソンよりプレーボールの声がかかる。スタジアムのアメリカ人ファンのボルテージはピーク。「USA!USA!」割れんばかりの大合唱と共に、ピッチャー第一球を投げる。

 

 その初球、イチローの刀が動いた。打球は一直線にライトスタンドへ。プレーボールホームラン。しかもWBC本戦の開幕試合だ。静まり返るアメリカのスタンドで、私だけが狂喜乱舞。こんな快感ってあるんだろうか。真のヒーローってこうもかっこいいんだろうかと思った。俺たち日本人は、アメリカ人に決して負けていない!あのスタジアムで同じ場面を過ごさせてもらったから、感じる事の出来た、本当に私の人生にとっても大きなシーンだった。

 

 そして、その後このWBCも紆余曲折あり、我が日本チームは初優勝に辿り着く。決勝戦後、なんとイチローがネット越しに手が届くほど近くまで来てくれ、興奮した私は「イチロー世界一!!」っと、叫んだ。そしたらなんとイチローが、「ありがとう!」って笑顔で手を振ってくれた。あの時の嬉しさは、優勝した興奮以上の興奮だった。

 

 そして2009年第2回WBC決勝、伝説のイチローの延長戦決勝タイムリーヒット。当然のごとく私は会社を早退し、三塁側ベンチ上で観戦。

 

 周知のとおり大接戦の末、イチロー伝説の極みともいえる決勝タイムリーヒット。

 

 あの伝説のセンター前ヒットの直後、我々を含むスタンドの日本人は、まさに狂喜乱舞。ほとんどの日本人は知り合いだろうが知り合いじゃなかろうが、みんな涙を流し抱き合っていた。あんなに嬉しかったことは、私の人生でも数えるほどしかないだろうと断言できるほど、本当に本当に嬉しく興奮したし、あの状況は今でも鮮明に覚えている。

 

 結局今思うと、この伝説の一打が、私が肉眼で見た彼の最後のシーンだった。

 

 あれからもう10年。イチローだけは、終わりがないんじゃないかと思えるほどの選手であった。現在のMLBは30歳を超えるともう契約が取れないほど、若年化が進んでいる。しかし彼には本当に50歳までやるんじゃないかなと思わせる何かが彼にはあったからこそ、引退という現実を受け入れることが出来ない。

 

 だからこそ、イチローロスだ・・・。

 それだけ彼は偉大で、我々世代に25年間も感動や勇気を与え続けてきた。四半世紀に渡って第一線でヒーローであり続ける人物ってその先も現れるのだろうか。

 

 ホテルにチェックインし、TVをつけ、ESPNを見ると、丁度イチロー引退のニュースをやっていた。アメリカのニュースに出るなんて、やっぱり凄いことだ。このニュースをまたアメリカで見るということも、私自身何か不思議な運命を感じる。

 

 私のアメリカ生活の一部にイチローはいてくれた。私の一方的解釈だが、何度も何度も彼には助けられた。挫折しそうになっても、ESPNに彼が少しでも映ると翌日からの勇気になった。イチローを感じながら、イチローに支えてもらいながらの四半世紀。

 

 もうイチローのプレーは見れない・・・。

 

 どうやら当分イチローロスだ・・・。