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【イチロー引退会見を見て ①】

2019.03.25

 まだアメリカ出張中なのでネットで文章で読んだだけだか、やっとイチロー引退会見に目を通した。

 

 読んだだけなのに正直感動しすぎて映像が見たいと思わなかった。見たら涙腺崩壊しそうで・・・。ネットニュース見ていると、リアルタイムの引退会見中継では、やはり深夜に見ながら涙を流す人々が続出したとか。

 

 しかし文章だけでも、この会見がいかに素晴らしかったが分かる。以前はサイボーグのように言われ続けたイチローが、最後に最高に人間味のある会見をしたことに、大きな意義があるように感じたのは私だけではあるまい。

 

 深夜に関わらず、1時間半近くもの長い会見は全てを物語っていたというように、私からしたら後世に残る「伝説の引退会見」であったようにすら感じた。

 

 その全てに共感できる部分、彼が天才過ぎて凡人の私には理解できない部分とが交錯するところまで、その高みと深み感じる。

 

 その中で私の特に強く感じた部分の一つが、最後の彼の言葉。

 

”アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

 

 孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。”

 

 彼は私の何十万億倍ものプレッシャーや苦悩と戦い続けてきたアスリートなので、自分とラップさせることすらおこがましいが、この「外国人」であることというのは、非常に気持ちの上で共有できた。

 

 周りから見ると、海外生活は華やかであったり、憧れであったり、羨望の眼差しで見られることが多々ある。が、しかし現実は、日本で生まれて日本で育って生活をしているときより、楽しいことも多いが、同時に辛く苦しいこともまた多いということだ。

 

 何故ならば、外国では我々は「外国人」であるからだ。イチローが言うように、基本は「孤独」である。家族、親族がそばにいないのだから当然であろう。

 

 海外で暮らしていると、誰しも少なからず差別的な扱いを受ける可能性が高い。私も数多くはないが、やはり同様の経験はあった。嫌がらせをされたり、心無いことを言われたりしたことも多々あった。初対面の相手から、私が外国人というだけで、いきなりというパターンもだ。

 

 しかし今となっては、それも新聞やニュースを見るのではなく、経験したことが自分にとって大きかったと振り返れる。

 

 そこに苦悩や苦しみがうまれるが、同時に他人に対する優しさもより深まる。外から来た人を受け入れる思い、二度と会わないだろう人に対しても、その瞬間を大切にしたいという気持ち。

 そういった嫌な思い出も、今となっては自分の糧となり、ありがたく感じるようになった。

 

 実は私にとって、こういった感性を持てるようになったのは、イチローの存在が少なからずあった。彼の活躍や一挙手一投足が、私の外国生活の大きなエネルギーになったことは間違いない。これは外国生活をしている沢山の日本人が同様であっただろうことは容易に想像できる。

 

 彼の活躍のお陰で 「日本人であることが誇り」であったからだ。

 

 彼の引退会見後の、Facebook等のSNS上での私の友人を含めて外国に住んでいる日本人からのコメントが心にしみる。皆、私と同じだったんだと。皆、彼に助けられ、彼のお陰で頑張ってこれたんだと。

 

 彼の功績は野球だけでなく、沢山の外国人となっている日本人を支えていたことに、誰も異論はあるまい。少なくとも私は、彼のお陰で日本人であることを誇りに生きてきたし、これから先も日本人であることが世界に誇れることだと確信している。