【23年振り!ラグビー早明決戦!!】
2020.01.112020年全国大学ラグビー選手権決勝戦は、23年振りの黄金カード早明戦!
ラグビーワールドカップで、空前の盛り上がりを見せるラグビー熱そのままに、大学ラグビーも12月の関東対抗戦での、25年振り早明全勝対決で更にヒートアップ。
実はJRFU(日本ラグビーフットボール協会公認メンバーズクラブ)会員である私は、会員事前購入でこの決勝戦チケットを12月の時点で購入。もちろんその時点では、14チーム出場のトーナメント戦のため、どのチームが決勝に出てくるかは当然分からない。しかし今年の両雄は突出しているだろうという見解から、リスク承知でチケットゲット(それでも自由席しか入手出来ませんでしたが・・・)。
決勝カードが決まったら絶対に手に入らないであろうことは、ラグビーファンなら周知の事実。更に今年は新国立競技場ということもあり、超満員でプラチナチケットになることは確定。
1月2日の準決勝をTV観戦し、両校決勝が決まった瞬間ガッツポーズ!23年振り!!何を隠そう、私はその23年前の大学選手権早明決勝戦は、旧国立競技場で観戦。ちなみに今期25年振りと言われ騒がれた、最後の対抗戦早明全勝決戦も当時現地で観戦。まさに学生ラグビー黄金期で、ネット購入できない時代、争奪戦を制してチケットを持っていることがどれだけ自慢だったか。
さて当日、家族と共に朝のフライトで羽田空港に入り、学生時代の友人が車に迎えに来てくれ、共に新国立競技場到着。時間はまだ10時30分。開門は12時で試合開始は14時30分。しかしそこに驚愕の光景が・・・。まさに人が溢れんばかりにごったかえしている・・・。
別の友人は朝8時30分から来ているとLINEメッセージ。現場は午前中の時点で、既にお祭り騒ぎ。恐るべき23年振り決戦。
焦って私も列に並び、JRFU会員特権である、正規開門の15分前に優先入場。しかしラグビー人気でJRFU会員もとんでもない程いる為、優先開門とはいえ同時にダッシュで競争。私は3階席バックスタンドから全体を見渡したかったので、3階までひたすらダッシュ・・・。死ぬかと思ったが、席の確保出来なければ今までの苦労が水の泡。
そして席ゲット!安堵というより、しんどい・・・。
さてそこから2時間半、スタンドやスタジアムをウロウロしながら、出来たての新国立競技場を見学。
正直言う程感動は無かったですね・・・。故 ザハ・ハディド氏のデザインやコスト問題で、白紙撤回された分、コストに厳しくなったのは理解出来ますが、正直オリンピックメインスタジアムなら、もっと感動を与えるようなスタジアムになって欲しかったですね。
モニター2台も全然ちっちゃいし、評判悪いが故に有名になったシートピッチはもう最悪。人が通る際に必ず椅子をたたまないといけない程。
良い点といえば、売店やトイレはだいぶ改善されてますし、3階席でしたが試合を見渡すビューは素晴らしいの一言。スタンド上部のみ屋根があるのは雨が多い日本なら観客には有難いですね。
それでもこれが1500億円も投じたのかなって思ってしまいますね。まあ建築素人発言レベルですが。
さて席確保から2時間半、やっとのこと試合がスタート!
状況によっては明治が圧倒するかもという、戦前の予想を見事なまで裏切り、前半は悪夢のような 0 vs 31。史上最悪な展開・・・。しかし後半は怒涛のトライラッシュで大きく巻き返したものの、前半の借金があまりに大きく35 vs 45で敗戦。
当然の如く、負けて残念でしたが、本当に良いゲームでした。後半30分あたりでは、本当に奇跡が起きるかも!っと思わせる、早明戦史上に残る好ゲームであったことは間違いありません。観客5万7345人入っていたので、早明の応援合戦も見ごたえあり、学生スポーツの醍醐味を堪能できました。
今の学生たちラガーマンに、パワーと勇気を貰い、彼らに対して心からの賛辞を贈りたいと思います。やっぱりラグビーは、肉体が生でぶつかり合うのを間近に見れるスタジアム観戦がベスト。本当に興奮と感動した一日でした。
下馬評では圧倒的に明治有利でしたが、やはり早稲田の伝統の底力は凄かった。ピークをこの日に持ってくる強さを長い間見続けてきましたが、今年もやっぱり早稲田の強さというより伝統に敗れ去ったという印象。
早明戦が盛り上がるのは、ラグビー自体の質の違い。FWを使い縦に攻める明治と、BKを使い横に攻める早稲田という両極端のチーム構成。これは何十年経過しても不変の対決。そして今日の観客の75%は明治ファン。誤解を恐れず言えば、これは長年早稲田コンプレックスを抱える明治のDNA。明治が早稲田をやっつける事の出来る、唯一無二のチャンスがこのラグビー。
だからこの早明戦は盛り上がり、恐らく学生スポーツで両校が最も熱くなる。
1996年1月、この地にあった旧国立競技場にて観戦していた鳥取の田舎から出てきた22歳の私。大学の仲間と共に紫紺のジャージを着て、声をからし声援を贈った思い出は今でも鮮明に覚えてます。
そして23年の時を経て、自分の子供を連れて新国立競技場での観戦は、感慨深い時間となりました。
試合中、一心不乱に紫紺の旗を振り声援を送っていた、我が息子が私にこう言いました。
息子 「将来明治にいきたいな!」
そんな息子に私はこう答えました。
私 「いけるなら早稲田にいった方がいいよ・・・」
明治大学卒の親なら、皆うなずいてくれるだろう・・・(笑)