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【恩師の定年退職記念祝賀会】

2020.02.03

 1月25日(土)鳥取市内某所にて、私の高校時代野球部監督で、恩師でもある山本監督の定年退職記念祝賀会がおこなわれました。本当に有難いことにお誘いのお声をかけていただいたので、私も喜んで出席致しました。

 

 丁度出張続きの時期で、合間を縫うように鳥取戻ってきて、開催時間直前5分前に飛び込むように会場到着。次の日は早々にまた出張という強行スケジュールでしたが、もし欠席しては一生後悔する程の大切な会でしたので、無事に参加出来たことが何より嬉しくほっと致しました。

 

  鳥取東高野球部OB会の方々を中心に、準備から当日まで大変だったと思います。その尽力のお陰で各世代のOB大勢集まり盛大に開催され、合同大同窓会のようになり、本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。

 

 高校卒業して既に27年。自分的にはそこまで時間が経過した実感はありませんが、数字を見るとやはり驚愕の年月を経過しています・・・。野球部に入部したのが、15歳ですからそれこそ丁度30年前。しかし30年前ですが、山本監督とは今でも自分のその後の人生を、大きく左右したと言っても過言ではないくらい、衝撃的な出会いでした。

 

 沢山の衝撃を貰いましたが、何が衝撃ってその存在の怖さ・・・。今でもこの年齢になってお会いしても、体に力が入るほど緊張します(笑)今では年齢を重ねられ、いつも笑顔でいらっしゃるんですが、それでもというかそれがまた怖い・・・。まあ私の人生で、怖い人は誰?って聞かれたら、真っ先に浮かんでくるのはこの方です。ちなみに2番目は、私が1年時の3年生のキャプテンの方です・・・。私が45歳になってもそのランキングというか、ワンツーは終生不変ですね。

 

 しかし人生とは不思議というか、面白いもので、その怖くて怖くてしょうがなかったそのお二人が、今では大恩人になってくださっていることです。今の私があるのはこの出会いがあったからという言葉が大袈裟ではないくらい、本当に心から尊敬している方々です。

 

 そもそも十代の頃の私は、自分で言うのもなんですが酷かった・・・。何が酷かったって人間的に全部酷かった。今の私が見たら、「あ、こいつヤバイ。たぶんまともな人生歩まないだろうな」って思うでしょうね(笑)

 

 私が当時、もし監督に出会わなかったら、人生舐めたいい加減な人間になっていた可能性が大です。当然野球もたくさん指導していただきましたが、今思うと「人として」っということも強く指導して下さいました。

 

 当時高校3年間、毎日ノートにその日の日報を記入し、監督に提出し練習後に、監督の感想やフィードバックをそのノートに記入されて戻ってくるんですが、そこでも毎日いろいろなことを教えて貰いました。練習や試合は勿論、普段の学校生活のことも指摘されたり怒られたり・・・。試合の結果以上に生活態度に厳しい指導があり、そのボロボロになった3年間のノート全7冊は、今でも大切に保管している私の宝物です。

 

 その後高校卒業した後の20歳前後から監督とは疎遠になります。私は上京したり、渡米したり、新しい世界に出ていきますが、当然の如く辛いことも多々ありました。その辛い時、苦境に立った時、誰かに助けてもらいたいとき、必ず監督が私の脳裏に登場してくださるんです。何度も連絡したかったけど、今と違いコミュニケーション手段も限られている時代でしたし、自分の中でどうしても踏ん切りがつかず、連絡しきれなかったりという時期もありました。

 

 でも監督ならこう言ってくれるだろうとか、こう怒られるだろうとかってことはその都度想像していましたし、叱咤激励されることを想定していたこともありました。その心の後押しがあったからこそ、その都度乗り切れたことは事実です。

 

 自分で言うのはおこがましいですが、私の人生はチャレンジの連続だと思います。チャレンジが多いということは、それだけ挫折も多くなります。しかし挫折を、そしてミスや失敗を負けと認めない強さが私の中にあるとしたら、それはきっと山本監督に鍛えられたからと言っても過言ではないでしょう。

 

 今でも思うのが、監督の存在なくしてその時代を乗り越えることが出来なかったということ。苦しい時代に直接的に何をしてもらったわけでもありませんが、私の中にある監督の存在自体が私を救ってくれたことは、紛れもない事実です。それ程、その都度私の心を支えて下さる存在です。

 監督の方からすると、そんな私の思いは知る由もないでしょうけど・・・。

 

 自分の人生を振り返って、自分の人生を良い方向に変えて下さった恩人、尊敬出来る方、感謝すべき人として考えた際に、必ず浮かんでくるのが監督です。ちなみに私の人生で「監督」とは、「山本監督」のことであり、これは一生イコールになるはずです。他には存在しない、まさに唯一無二なんです。

 

 監督や恩師と呼べる方が自分の人生に存在してくださるということは、本当に幸せなことだと思います。この世界で、皆そうではないかもしれませんが、少なくとも私にはそう呼べる方がいる。こんなに幸せなことはないと、この年になると痛感します。

 

 ほとんど褒められたことはなかったけど、その数少なく褒められたことは、今でも鮮明に覚えています。まあその1,000倍怒られたんですけど、それも今では忘れられない良い思い出です。恐怖も凄かったですが、自分の糧になっていることは間違いありません。

 

 それら全て含めて「感謝」ですね。

 

 本来、定年退職記念祝賀会ですので、お掛けする言葉というのは、「おめでとうございます」もしくは、「お疲れ様でした」となるのでしょう。しかし私はおこがましくも、監督にそんな言葉はお掛けできません。私の立場から一生、労いの言葉をかけられるような御方ではないですし、今でもずっと受け身の対応や言葉しか考え付きません。

 

 ただ自分の素直な気持ちを表現し、言葉をお掛けするとしたら、この言葉以外見つかりません。祝賀会当日、この言葉はお掛け出来ませんでしたが、何よりも誰よりも、強く深い感謝の気持ちを込めて、、、

 

「監督 ありがとうございました」

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