CEO blog   |  【10年前の今日】

CEO blog

【10年前の今日】

2021.03.11

 本日2021年3月11日、あの震災から10年が経ちました。まだ10年、もう10年、被災者の方々含めたそれぞれの感じ方は違うはずです。

 

 私もあの日、あの時間のことは鮮明に覚えています。午後14時46分過ぎ鳥取市内にいた私は、クライアントさんの駐車場の車の中で、アポ時間まで車内でPC業務。すると突然の緊急速報。慌てて車内TVつけると、千葉方面で火の手が上がっている映像。しかし震源地は宮城県沖と表示されているが、映像は東京のまま。アンカーたちのパニック状態はプリウスの小さな車内TVでも伝わってくる。

 

 見たこともないマグニチュード、そして震度の大きさに恐怖を覚え、関東や東北の友人に震える手で電話するも誰も繋がらない。電話が不通なことから、これはとんでもなく恐ろしいことが起きた、そしてこの後更に恐ろしいことが起きることを、直感的に震えと共に感じた記憶がある。

 

 直後、クライアントさんとのアポ時間になり地震が起きたことを伝えたり、その後オフィスに戻って同僚と話しても、意外と皆ぴんと来てないようだった。その時感じたのは、この山陰地方と東北地方との距離感。確かに繋がりや所縁があまりない地域同士かもしれないと感じたのを覚えている。当時私は帰国してまだ1年も経っていないことから、この部分に驚いたこともまた事実だった。

 

 金曜日の午後だったこともあり、週末にかけて電話し続けていると、何人かに繋がりはじめ、TVやネットの情報と共に被害が徐々に判明し始める。やはりTVやネットと違い、被災した友人から直接聞いた話は現実感や恐怖感が凄まじかった。結局私はその夜一睡もできず、津波の有った夜の東北の映像を見続けた。真っ暗な海に点在する炎の映像が未だに脳裏に焼き付いている。

 

 鳥取と東北、遠く離れているが同じ日本で日本人が恐怖と共に凄す時を過ごしている。何とも言えない重い週末を過ごし、人生でも経験無いくらい、自分たちが一体何が出来るのかを考える週末だった。