【平成の三四郎】
2021.03.24本日3月24日、突然の訃報に一瞬時間が止まったような衝撃を覚えた。
柔道家 古賀稔彦氏の死去。
私世代なら、誰しも大きな感動という記憶があり、多くの感動を貰った柔道家である。真っ先に思い出されるのが、伝説となったバルセロナ五輪での金メダル獲得。決勝の赤い旗が二本上がった瞬間の彼の雄叫びは、今での多くの方々の脳裏に焼き付いているオリンピック名シーンの一つであろう。オリンピック直前、同僚の吉田秀彦氏との練習での左ひざの負傷。歩くこともできない程の大怪我をした71キロ級の彼は、練習できないため絶食をしながら減量した逸話も有名だ。
そもそも先輩と後輩の関係だった彼らはオリンピックでも同部屋。古賀氏に怪我をさせ、誰よりも責任を背負っていた吉田秀彦氏は、自分が獲得した金メダルより嬉しかったと語っていたし、現に古賀氏の金メダルの瞬間、人目をはばからず号泣していたシーンが忘れられない。実際古賀氏の試合の数日前、吉田氏は自分が金メダルを獲得した夜、古賀氏を気使って相部屋に戻らずリビングで寝たという程、責任を感じていたのであろう。
まさに柔道家という二人のエピソードは、柔道が国技の一つであろう日本人として誇らしく思えるほどかっこいい。
実は私が古賀氏の現役時代、最もかっこよかったシーンは1990年全日本柔道選手権大会での無差別級での試合。31年前であったが、私はTVにかじりつき、夜のNHKサンデースポーツでの特集も鮮明に覚えているほど衝撃的でした。
「柔よく剛を制す」
まだブルーの柔道着がメジャーでない頃、まさに日本的な柔道がそこにあった。当時既に人気のあった世界王者小川直也氏が完全にヒール役となるほど異様な雰囲気の決勝戦。今でいうボクサー井上尚弥がヘビー級チャンピオンに挑むようなもの。結果は破れるが、幾度となく背負い投げを仕掛ける姿に、日本柔道ここに有りを感じさせる感動的な決勝戦であった。
あの決勝戦から31年。自国開催を4か月と迫った今、連日のようにオリンピックスキャンダルに翻弄される東京オリンピック。開催自体が危ぶまれる日本の現状を、病床にいた平成の三四郎の目にはどう映っていたのであろうか。
ちなみに古賀氏、バルセロナ五輪直前の大怪我で歩行も困難な状況で、更に周囲が持つ絶望的な雰囲気の中、彼自身だけは試合への出場辞退を1%も考えていなかったらしい。
心より御冥福をお祈り致します。