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【911 – 後編】

2021.09.18

 私自身このWTCアタックの衝撃は、色々な意味で凄まじいものでした。何故ならば、この3カ月前に、World Trade Center を訪れ、ビル屋上の展望台デッキに登っていたからです。

 

 当時生まれて初めてNew Yorkを訪れ、自由の女神やセントラルパークといった、いわゆるNew Yorkの王道を1週間かけて観光。当然の如く、World Trade Centerは外せない名所。朝から展望台へのエレベーターの行列に並びました。

 入居企業を見ると、意外なほど多くの日本企業の名前が立ち並んでおり、まだまだ日本企業が元気であった時代で、私も誇り高く感じたものです。驚いたのが、なんとこのビルには山陰合同銀行さんのネームがあり、同じ山陰の人間として本当に嬉しく思った記憶まで鮮明に覚えています。

 

 そして今でも克明に覚えているのが、屋上に登った際の風景。WTCの屋上展望台デッキとは、屋根も無く普通に柵があるだけなんです。外にむき出しなので、当然風は凄まじく吹き、それでも空は近く、自由の女神とマンハッタンに挟まれ超絶景。下を見下ろせば、無数の車が走っているのが分かるが、点にしか見えないほど小さなもの。ゴージャスのビルのわりに、屋上の作りは質素というか極めてシンプルでした。しかしその開放感ある展望デッキは、他の高級展望台なんかよりよっぽど贅沢な空間であったため、今でも忘れられない景色がそこにはありました。

 

 日本のビルやタワーの展望台はほぼ例外なくガラス張りです。屋外という概念自体があまりないのかもしれません。勿論ある程度の高層ビル程度なら屋外もあるでしょうが、100階建てを超えるビルで屋外展望台ということは、いかにもアメリカらしい発想です。

 

 高いところは結構好きなので、色々な国で展望台見ましたが、今でもダントツNo.1なのがWorld Trade Centerですね。

 

 その思い出深いWorld Trade Centerが、3か月後に無くなる。しかもツインタワーの両方が同時に。TVで繰り返される映像を何度も見ながら、自分がいたであろう屋上が崩落するシーンに、無力感すら感じられずただ茫然とTVの前に座っていた。

 

 実は911から約9年後の2010年、同じ場所、通称:グランドゼロを訪れました。911以降、出張でCaliforniaから何度もNew Yorkに訪れていましたが、仕事メインの為、行きたいけど時間が取れずが続いていました。

 

 が、しかし日本への永久帰国が決まった際、最後にNew Yorkにどうしてもということでの訪問。それでも今から10年程前です。当時はまだ新しいビル建設が始まる前で、グランドゼロの向かいにモニュメントセンターがあり、当然立ち寄りました。

 

 そこには遺品や遺族の方々のメッセージなどが展示してあり、当時の生々しい通信記録や、詳細が事細かにありました。日本人である私は、やはり日系企業に勤務されていた日本人の方々の遺品や家族のメッセージに目を奪われ、当時の凄惨な事故を垣間見ることが出来、自ずと恐怖感と涙が止まらなくなります。

 

 広島原爆ドーム博物館や、ドイツ・アウシュビッツに相通じるものがあるほどで、これは私の語彙力では伝えることが出来ないほど強烈なインパクトが押し寄せます。

 

 原爆ドームやアウシュビッツは、自らの脚で訪問し自らの目で見ることが出来ましたが、これらはあくまでも悲惨な出来事のAfterです。しかしこのWorld Trade Centerの出来事は、BeforeとAfterをたった3カ月で比較することとなってしまい、20年経過した今でも、自分の中で完全に整理できたとは言えないほど、不思議な体験です。

 

 そしてそれを感じることが出来た自分が、何を考え何を行動すべきかということは、未だに未熟な私には答えすら分かりません。

 

 「911」から約10年後、「東日本大震災」が起き、更にその約10年後の現代、「新型コロナウイルス・パンデミック」が起きている2021年。21世紀になり約10年ごとに未曾有の出来事が起きる中、どういった次の10年を過ごすべきなのかを深く考える時期なのかもしれません。

 

 人生は無限ではなく有限であるからこそ、どう死ぬかよりどう生きたかを今一度考える機会が、私にとっての「911」なのかもしれません。