CEO blog   |  【生成AIと暮らす日常、そして私たちが考えるべきこと】

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【生成AIと暮らす日常、そして私たちが考えるべきこと】

2025.09.22

 2022年末にChatGPTが登場してからというもの、「生成AI」という言葉は瞬く間に世の中に広まりました。それから約3年、2025年の今、生成AIはもはや目新しい技術ではなく、私たちの仕事や暮らしの中にごく自然に存在する「隣人」や「パートナー」として根付いてきたように感じます。

 

 ChatGPTやClaude、Copilotといったツールの名前を聞いたことがない人の方が珍しくなり、職場でも学校でも家庭でも、ごく当たり前のように生成AIを活用する場面が増えました。実際、私自身のまわりでも、企画書のたたき台をAIに出してもらったり、議事録を瞬時に要約してもらったり、マーケティング施策の草案を練ったり、Excelの関数を書かせたりと、さまざまな形でAIが関与する仕事の風景が広がっています。

 

 これは日常生活でも同様です。旅行の行き先を提案してくれたり、冷蔵庫の中身からレシピを考えてくれたり、本の要約をしてくれたり。生成AIがいることで、これまで面倒だと感じていた作業がぐっと軽くなった実感があります。

 

 ただ私が最も驚いているのは、「生成AIがもたらす変化」は単なる“効率化”にとどまっていないという点です。

 

 たとえば以前なら、「このプレゼンどう構成しよう…」と一人で悩んでいたことも、今ではAIと対話しながら案を出し、Notion AIで文章化し、Midjourneyでビジュアル案を試作する――といったように、アイデアを“共創”するプロセスが当たり前になってきました。人間の創造性がAIによって拡張されている、そんな実感があります。

 

 一人で作るのではなく、生成AIというチームメイトと一緒に何かを生み出す感覚。これは単なる「時短」や「自動化」といったものではなく、人間の可能性を広げてくれるポジティブな力です。

 

 一方で、生成AIが広がるからこそ見えてくる課題もあります。

 

 「それっぽいけど間違っている情報」をもっともらしく語ってしまうリスク。著作権や学習データの透明性への懸念。教育現場での過度な依存。そして、「AIが作った文章だから正しいはず」と無批判に受け入れてしまうリテラシーの問題。

 

 特に教育の現場では、生成AIの導入によって「考える力が育たなくなるのでは」という声がある一方で、「一人ひとりに寄り添った学びのサポートができる」という利点もある。どこまでを任せて、どこからは自分で考えるか、このバランスの最適解は、まだ社会全体として模索中だと思います。

 

 結局のところ現時点では、生成AIをどう活かすかは人間次第。AIは万能でも完全でもありません。だからこそ、私たち自身が 「どこまで任せ、どこは自分で判断するか」 という距離感をしっかり持つことがますます重要になっていきます。

 

 即ち生成AIはチャンスでもあり、リスクでもあるということ。その真価は、「どの技術を使うか」ではなく、「どう使うか」にかかっています。

 

 2025年の今、生成AIはもはや一部の人だけが扱う特別な道具ではなく、誰もが使える開かれた存在となりました。

 

 だからこそ、私たち一人ひとりが問われているのは、「生成AIが何をしてくれるか?」 ではなく、「私たちは生成AIとどう未来をつくるか?」 という視点なのかもしれません。