【台湾の日本文化】
2024.07.06出張で台湾・台北に来ています。
今年も日本は灼熱のような梅雨を迎えていますが、こちら台北松山空港を降りた瞬間感じたのは、まさに灼熱地獄!日本とはワンランク次元が違うほどの暑さでした。時期的なこともありますが、日本以上に湿度が高いので尚更不快指数上昇です。
そんな出張中、少し時間取れたので、ドン・キホーテに立ち寄ってみました。台湾には数多く訪れてますが、ドン・キホーテは初めて。店内に入った瞬間、驚いたというか、ここは日本のドン・キホーテかと錯覚するほど日本のまま。おそらく90%前後は日本と同じプロダクトが並んでおり、店内放送やミュージックも日本と同じ、ポップアップなどの装飾品も日本と同じ。弁当や果物、焼き芋や店内フードコートまで、完全に日本をコピペしています。
その後、近くにDAISOがあったので、ここにも少し立ち寄ってきましたが、こちらもドン・キホーテほどではないまでも、ほぼほぼ日本ショップの完コピ。店内にいると、ここが外国という感覚は一切なくなるほどです。ちなみにDAISOは他の数か国でも店舗に入ったことありますが、ここ台湾の完コピっぷりはまさに別次元。
そして何より驚いたのが、上記二軒ともに大繁盛。おそらくほぼ100%は台湾人のお客さんたちです。そもそも台湾人はおそらく世界トップレベルに親日国家であることを考えると、企業戦略としては大成功なんでしょう。それでもここまで攻めた店舗設計は、かなりギャンブルであったはずです。日系企業のプロダクトにしても、自国ブランドが外国で成功するにはローカライズ(現地化)が最も大切な戦略であることは周知のとおりですが、その真逆をいく戦略に振り切ったのは、類まれなるマーケティングリサーチがベースにあるのでしょう。
本当に凄いというか素晴らしいの一言です。異国の日系企業から、大いに学びを得た店舗視察となりました。
【15年のトキの共有】
2024.06.062024年6月6日は、私の家族にとって特別な一日でした。
丁度15年前の2009年6月6日、我が家に愛犬Cooがやってきました。あれからちょうど15年、ずっと一緒に家族としてトキの共有を過ごしてきました。彼女の正式な誕生日は2009年3月18日ですが、我が家のメンバーになったのは同年6月6日。まだ子供がいなかった我が家にとって、まさに最初の子供のような存在であり、子供のように可愛がってきた特別な存在。
彼女が我が家にやってきたとき、私は前日に35歳になったばかり。今でも鮮明に覚えていますが、彼女を抱っこしながら漠然と 「自分が50歳になったときに一緒にいれたらどんなに幸せかな~」 っと言葉を発していました。前回のBlogにも記載した通り、年々自分が50歳になるのは嫌でしたが、自分のこととは別にCooと一緒に50歳までいれたらなっていう感情は常に忘れていませんでした。それは純粋に彼女と15年間過ごしたいという正直な感情。
3年前、彼女が先天性の不治の病を背負っていることが判明したとき、おそらく3年後は難しいなと覚悟をし、1年前の彼女の症状から、1年後に生きていることはまず不可能だとすら思っていました。しかし奇跡は起き、彼女は全く歩けないし吠える声すら出すことが出来ませんが、今でも必死に生きています。
今では家族全員で愛犬介護です。トイレをするのも、ご飯を食べるのも、水を飲むのも、寝たきりで床擦れ防止の寝返りも、人の温もりを求めて抱っこのサインのときも、家族全員で全力サポートしています。誰も嫌な顔したこともありませんし、彼女に対する愛情と感謝からか、全員が率先して自分のことより彼女の為に行動します。それはまさに無償の家族愛の素晴らしさだと、また彼女に一つ教えてもらいながら生活しています。
最後のトキが確実に近づいていることは、家族全員理解をしています。それでも彼女が旅立つそのトキまで、15年間の感謝と恩返しを届けたいと家族全員が強く思っています。
下の写真は15年前、彼女が我が家にジョインした頃。
【半世紀】
2024.06.05私事ではありますが、6月5日に50歳を迎えました。
おそらく人生で最も嬉しくない半世紀目の誕生日。当然その迫りくる6月5日に対して抗うことも出来ず、ただただ受け入れるしか出来ないと頭では分かっていても、残念ながら50回目となるとあまり嬉しくないものですよね。やはり半世紀は重い・・・(苦笑)
なぜ嫌なのかなと考えてみると、やはりギャップなんですよね。自分が子供の頃や20代の頃に思い描いていた50歳とは、まさかこんな感じじゃなかったっていうギャップ。50歳というと成熟した大人であり、良い意味で人生経験豊かな知性ある大人なイメージでした。しかし自分が実際その歳になったときのそのギャップたるや・・・(苦笑)
大人になるって一体どういうことだろうって、20歳を超えたころから誰しもが深く考える重要トピックかもしれません。少なくとも私は50年も生きてて、未だにその大人になるという意味が良く分かっていません・・・(苦笑)
結局大人になり切れていない自分がいるから、そのギャップで年齢を数字として重ねることが違和感なのかもしれませんね。欧米人にとって年齢なんてただの数字と言いますが、それはまさにその通りでしょう。しかし年齢に応じた中身も伴っていたいという希望は誰しもあるです。そう考えると、やはり年齢はただの数字ではなく重要な意味があるはずで・・・。
まあそういう部分で哲学的に物事を考えるようになったってことは、自分も歳を取ったのかなと感じることもありますが・・・。他の方々からしてネガティブに聞こえるかもしれませんが、全くネガティブに考えているわけではなく、逆に一応深くリアリスティックに考えているということ。しかしながらリアリスティックに考えれば考えるほど、やはり50歳は嫌なものですが・・・(笑)
誕生日直前にそんな意味があるような意味がないようなことを考えながら、誕生日前日6月4日に鳥取オフィスに出社。午前中の打合せ中に呼び出され、なんだろうとついていくと、なんと突然まさかのオフィスメンバー集結の場へ。掛け声と同時に花束贈呈とHappy Birthdayのビッグサプライズ!!私はただ茫然としながらも、少し冷静に嬉し恥ずかし苦笑い・・・。
皆さんからすると、誕生日当日の5日は不在になるかもという推測から、敢えて前日サプライズに設定したとのこと。サプライズ後には、たくさんの会社メンバーの方々から美しい花束や素敵なギフトとバースデーケーキ、そして何よりも温かい言葉の数々。
もちろん私の立場上、皆から気を使ってくださっているっていうことは重々理解をしていますが、それを差し置いてもやはり何とも言えない幸せな気持ちになりました。私なんかの為に、おそらく打ち合わせしたり、買い物したり、呼び出すタイミングの練習したことでしょう。基本的に誕生日を祝ってもらうことはもの凄く苦手で、サプライズもするのは好きだけどされるのは好きじゃないけど、やはりその裏側のメンバーの尽力を考えると、何ものにも代えがたい程の大きな感動ですよね。
50歳を迎えて感じたこと。それは愛すべきメンバーに囲まれている幸福さを考えると、やはり50歳も悪くないなって素直に感じる自分に気付けたことはまた大きなサプライズでした。花束も、ギフトも、温かい言葉も含めて、それに気付かせて下さった仲間たちに心から感謝しかありません。
未だに50歳という大人になるというギャップ感は埋めれてませんが、それでもただの数字ではない50年という節目を、自分が最も大切にしている愛すべき仲間たちと共に迎えれたという現実は、私の50年間の人生で最も幸せなBirthdayでした!!
20歳の頃の自分に、30年後に人生で最も幸せなBirthdayを迎えていると胸を張って伝えたいですね。
It was such a wonderful surprise to me and I’ve received the greatest birthday wishes ever! Thanks a lot. You guys are so awesome and sweet!