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【オウム事件から】

2018.07.28

 地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による事件に関わったとして、教団元幹部ら13人の刑が7月6日と26日執行された。

 

 早いもので、あの日本を震撼させた1995年3月20日の地下鉄サリン事件から23年。

 

 今週7月25日から山崎さんと東京出張。朝の品川駅で、飲みかけの水が入ったペットボトルがホームに無造作に投げ捨てているのを見つけた。何も考えずそれを拾ってゴミ箱に捨てた私に、山崎さんが声をかけた。「よく怖がらず拾いましたね、びっくりしましたよ」笑いながらの彼の言葉。私ははっとした。何も考えず無造作な行為だったが、もし危険物だったら・・・。しかしそんな時代になってしまったのは、間違いなくあのサリン事件がきっかけであろう。

 

 その後、霞が関近くへ移動し、クライアント社の応接室から外の景色を眺めると、目線の先に武道館が見えた。ペットボトルを拾った後だったからか、私はクライアントさんを待ちながら当時を思い出した。

 

 23年前1995年3月20日、当時まだ都内で学生をしていた私は、所属していた野球チームの合宿で事件前日19日から静岡にいた。

 

 そして事件当日20日朝、旅館で朝ご飯を食べ、仲間と皆でグラウンドに移動中の車のラジオで事件の一報を聞いた。グラウンドに到着すると、皆ラジオを聞いたと騒いでた。今のように外で見れるTVも、インターネットやスマホも当然なく、情報は車のラジオだけ。30人ほどいる中で、携帯電話を持っていたのは2人程度。その彼らが都内と連絡取り合ってくれてたのを鮮明に覚えている。

 

 旅館に戻るとTVは全チャンネルそのニュース。たぶん携帯電話普及率も10%もなかった時代なので、家族や友人の安否もままならならず、皆焦りはじめる。その時点のTVでは霞が関中心の異臭事件との報道であったのだが、あの地が何ラインも地下鉄が入り混じっている東京の中心地だということを皆分かっているからこそ、更に焦りが強まる。

 

 翌日になると、徐々に詳細が明らかになり、親しい先輩は一本前の電車に乗っていて危機一髪だったとか、都内がパニック状態で静岡に来れないとか、知り合いの知り合いは当時霞が関にいたとか、やはり数千人規模であったためか、意外と近い存在の方も被害にあったという話を受けたため、私の中でもショッキングなニュースとして今でも記憶に残っています。

 

 そして友人の一人から聞いた話で、当日武道館で卒業式があったが、待てど待てど友達が来ない。おかしいと思っていたら事件のことが分かり、結局卒業式は中止。数名はその後ずっと入院生活を送っているとのこと。

 私自身、入学式も卒業式も武道館でさせてもらったので、尚更ながら当時を思い出すと、何かやりきれない感情がありますね。

 

 そんな中、今月13人の死刑執行が行われた。当然の如くメディアを中心に賛否両論の論議が繰り広げられている。

 

 アメリカは州によるが、まだ死刑が行われる国の一つで、必ず残虐犯罪の裁判で懲役200年とかのパターンもある。しかしこの国らしいのが、例えば20歳が100年に禁固刑となると、必ずその残りの年月、要するに寿命までの時間への必要経費の計算が出回る。当然、そうなると庶民の税金が彼らを生かすことに使われるのが正しいのかという議論が出る。当然億単位の金額にのぼるからであろう。

 

 逆にヨーロッパは実質的に死刑はありえないという考え方。EU加入の条件でもあるというくらい、このあたりは厳格だ。今回の件も、毎度のように北欧地域からの日本へのバッシングがおきているとのこと。

 

 アジアでは中国はまだまま執行されるが、お隣韓国でも実質的に無いに等しいらしい。

 

 非常に難しい問題なのは重々承知だが、単純な感情論でいえば、ひと月に13人も死刑が執行される国に住んでいるのはどうだろうと考えてしまう部分もある。

 

 当時20代の純粋な若者が、麻原にマインドコントロールをかけられた。その弱き人間は、命じられるがままに大罪を犯し自分の死刑をされる運命にあったのだ。

 半面、オウム事件とは別の良くある殺人事件では、その犯人は、人を殺した後に自分は精神病患者だと騒ぎ刑を軽くする輩もいる。オウムのマインドコントロールされた人間はそんなに何が大きく違うのだろうか。

 

 私は1994年4月に大学に入り、鳥取から上京してきた典型的な田舎者。そんな田舎者の私が当時の駿河台キャンパスにある御茶ノ水駅の改札が出ると、なんと毎日10人ほどのオウム真理教の人たちが奇抜な格好をしダンスをし勧誘していた。

 事件前の当時でさえ、異様な光景。鳥取の片田舎から東京に出てきた自分は、本当に衝撃を受け、そのビラに麻原が宙に浮いた写真が掲載されていたのを鮮明に覚えている。

 あれから20数年。オウム事件とはいったい何だったのか、我々はいったいどういった教訓を得たのか。人生の忘れられない出来事として、今一度考えてしまうし、今一度より深く考えなければと感じる。


【我々に出来ること】

2018.07.18

 西日本豪雨から10日以上経過しました。被害は拡大の一途であり、毎日被災地から辛く悲しいニュースが流れています。

 前回のこのブログでもアップしましたが、川口グループではこういった未曾有の災害が起きた際には、マッチングシステムを活用した義援金を集める活動を行っています。

 

 もちろん何もしないよりも、何かする方が絶対にベターであると考えますが、今回は同じような中国地方である山陽地方の広島・岡山という隣県に大きな被害が出ている現状をふまえ、他に何か出来ないかと考える毎日となりました。

 良く言う、「今の自分たちに出来ることをまずしよう」という精神。ありきたりですが、この言葉をいつも以上に深く考えてみました。

 

 結論は会社として「ボランティア」を後押しする環境構築。要するに弊社メンバーが平日にボランティアを希望した場合、勤務時間であれば有給とし、同時に交通費や宿泊費などの諸経費を出張に近いベースでサポートするシステムを適用する。

 調べてみると、参考になる試みをやっている大手企業や自治体は多々あり、非常に参考になる事例もありました。

 

 例の如く、熟考する前に、取り敢えずやってみよう精神でスタート。事前にこういったことの準備やシステム構築をしていない自分にいら立ちも感じましたが、過去を振り返り後悔している状況ではないので、まずは告知しスタート。

 もちろん弊社クライアントの方々に迷惑をお掛けすることは出来ない為、派遣出来るかどうかは会社や部署の状況による判断となることが大前提ですが。

 メディアを通し、被災者の過酷な現状を目の当たりにすると、被災していない我々が、酷暑だどうのとわがまま言っていることが恥ずかしくなるような程の状況が、広島・岡山ではおきています。

 一日でも早く、被災者の方々に日常生活が戻ってくるよう、我々も今出来る最大限のことでサポートしたく思います。


【西日本豪雨】

2018.07.10

 2018年7月、西日本を中心に豪雨が吹き荒れ、平成に入って最悪の惨事が起きてしまいました。

 

 幸いにも弊社メンバー、その家族に大きな人的災害は起きていないようですが、週末は避難勧告の為、学校などで夜を明かすメンバーもいたようです。

 また山陽方面を中心に、被害の出たお客様や取引様もあるようですし、まだまだ土砂崩れ等、予断を許さぬ状況です。

 

 当グループでは、総務メンバーは迅速に立ち上がり、義援金を募る動きを開始しました。川口グループでは、社員から義援金を募りますが、基本一口500円としております。この会社メンバーから募った500円に対して、会社も同額の500円募り、合計1,000円として義援金一口とします。

 要するに、会社メンバーの方々から100万円募れば、会社自身も同額100万円を支出し、合計200万円として日本赤十字等に義援金とし被災地へ向けて依頼をします。

 

 この方式は欧米企業で一般的な「マッチングシステム」と呼ばれるもので、社員の方にのみ払わせるのではなく、あなたの1,000円は実質2,000円になりますよという理屈です。

 少しだけ余談で、今回私が嬉しかったのは、今回の義援金は私の指示ではなく、総務メンバーが自発的に立ち上がり、「やりましょう!」っと言ってくれたことですね。

 

 日本人的に言うと、被災地へは気持ちがこもっていれば内容どうこうではないという意見も多々ありますが、やはりこういった際に何より大事なのは、気持ちより「もの」や「お金」だと思います。もちろんそれは、今現在我々に出来る最善のことは何なのかを明確にした上です。

 どの時代もこういったことに批判的な意見はありますが、文句を言ってやらないより、やることが一番大事であるというのが私の信念です。

 

 もちろん大切な家族に苦しい思いをさせてまでの義援金を集めるつもりはありません。義援金とは、基本的には嗜好品から捻出してほしいと考えます。例えば、普段コンビニや自販で買うコーヒーやタバコ、飲みに行くのを一軒減らす、お菓子を買うのと少しの間辞める等をし、捻出するのが理想でしょう。

 これが助け合いの精神、儒教の教えに通じるでしょう。

 

 被災者は、普段の穏やかな生活から一瞬で考えられないような事態に巻き込まれています。我々日本人にとって水の怖さは、東日本大震災や鬼怒川決壊で一生忘れられない記憶となっています。そんな中、一瞬で家族や大切な方を失った恐怖と悲しさを思うと胸が締め付けられる思いです。

 

 大半の人々の一番の幸せとは、普段の普通の平穏な暮らしであるでしょう。

 

 まだまだ被災地は大変なときを過ごしています。一日も早く、普段の生活に戻れるよう、心よりお祈りしています。