CEO blog

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【個の挑戦が組織を変える – 大谷翔平】

2025.10.19

 2025年10月17日、メジャーリーグという世界最高峰の舞台で、私たちはまた一つ歴史を目撃しました。ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手が、ナ・リーグ優勝決定シリーズ第4戦(対ミルウォーキー・ブルワーズ)にて、誰もが息を呑むようなパフォーマンスを披露したことだ。

 この試合で大谷選手は、先発投手としてマウンドに立ち、6回を投げて2安打無失点、10奪三振という圧巻の内容でミルウォーキー打線を封じ込めた。それだけでも驚異的な成績だが、さらに1回表の第1打席で、いきなり446フィートの特大ソロホームランを放ちます。続く4回には469フィートの場外弾、7回には3本目の本塁打と、文字通りひとりで試合を決めたような内容でした。

 圧巻の初回は、いきなりホームランで、その後は3者連続三振の快刀乱麻の活躍であった。

 その結果ドジャースは5-1で勝利し、ワールドシリーズ進出を決定。大谷選手はシリーズMVPにも選出されましたが、それも当然の結果だと誰もが納得したはずです。

 

 ここで私が特に注目したいのは、彼の記録やスキルだけではなく、それを成し遂げたあり方そのものに、経営者として組織を率いる者として、深く心を揺さぶられたのです。

 

 まず、彼の姿から学べるのは「常識の枠を超える挑戦力とリーダーシップ」です。投手か打者か、という従来の役割を超えて両方で結果を出す彼の姿勢は、私たちのビジネスにも通ずるものがあります。部署の垣根や職務の枠にとらわれず、変化に柔軟に対応できる人材や組織こそ、これからの時代をリードしていけるのではないでしょうか。

 

 次に感じたのは、「極限での集中力」と「信頼に裏打ちされた準備力」です。たった1球、1スイングで結果が決まる勝負の場で、何もかもを味方につけて最高のパフォーマンスを発揮するためには、想像を絶する準備と覚悟が必要です。

 

 これはまさに、我々が経営の意思決定やリーダーシップを発揮する場面にも通じます。一朝一夕で得られる結果ではないからこそ、毎日の積み重ねと信念がものを言う。その積み上げが、いざという場面で圧倒的な結果を生むのです。

 

 そして後編では、この偉業の影響力と継続性という観点から、さらに深く掘り下げてみたいと思います。

【やはりスポーツはアートである】

2025.10.01

 スポーツとは、本来「競争」であるはずであり、記録を争い、勝敗を分かつ場であるはずです。それなのに、なぜ彼らはあれほどまでに、お互いを思いやれるのか。

 

 おそらくそれは、自分の限界に挑んだ者だけが知る「孤独」と「尊敬」があるからだと思います。どれほど自分を追い込んできたか。何度も心が折れそうになったか。その全てを理解し合えるからこそ、競技を終えたあとに、純粋な気持ちで喜び合える。

 

 これは私たちの仕事や人生でも同じでかもしれませんね。

 

 ビジネスもまた、競争の連続です。他社に勝たねばならない。自社の成長を追わねばならない。けれど、それでも本気で取り組む者どうしには、自然と生まれる尊敬と共感があります。競争相手でありながら、同じ道を歩む“仲間”のような感覚がある。そんな関係性は、これからの時代の理想的な在り方だと感じます。

 

 自分以外の「成功」を祝福できる心

 

 私が特に感動したのは、自分以外の選手の世界記録を、心から嬉しそうに祝福していたという事実です。

 

 誰しも、悔しさがゼロではないはずです。あと数センチで届かなかった金メダル。けれどその場にいた彼らは、その思いよりも、デュプランティス選手の偉業を讃える心を選んだ。これは並大抵のことではありません。

 

 カラリス選手が小型ファンで風を送り続けていたあの姿には、「最高のパフォーマンスを出せるように応援しているよ」という無言のメッセージがあったと私は感じました。仲間であり、ライバルであり、人生の一コマを共有する者同士の絆が、そこに確かに存在していました。

 

 我々組織で目指すべきは、「勝つことだけではなく、誰かの成功を心から喜べるチーム」でもあるはずです。

 

 それは簡単なことではありません。人は誰しも、比較してしまい、嫉妬してしまうものです。しかしそれを乗り越えた先にこそ、本当に強く、幸福なチームが生まれると信じています。

 

 スポーツの世界では、限界に挑む姿を「アート」にたとえることがあります。それは「肉体の美しさ」だけでなく、今回のような「心の美しさ」も含めて、そう表現されるのでしょうね。

 

 今回の世界陸上で見たあの棒高跳びの3人の姿は、競技という枠を超え、人間の本質的な美しさを感じさせてくれました。そして記録や順位を超えて心が揺れたあの瞬間こそが、我々が感じた本当の感動なのだと、改めて感じた素晴らしい大会でした。

【世界陸上からの学び】

2025.09.30

 先日東京で開催された世界陸上大会。久しぶりの東京開催ということで、スポーツ好きの私としては大変楽しみにしながら、可能な限り普段あまりみたいTVにかじりつく毎日でした。

 

 スポーツ観戦する際、当然の如く、素晴らしい記録やギリギリの勝負を楽しみに見ていますが、同時にそこに隠された人間ドラマに注目してしまいます。今回もいくつかの感動的なシーンがありましたが、その中でも特に美しい瞬間を見られたのが、男子棒高跳び決勝。

 

 周知のとおり、圧倒的な跳躍で世界新記録を樹立し、金メダルを獲得したのは、スウェーデンのアルマン・デュプランティス選手。その瞬間の彼の表情は、歓喜と達成感に満ちていました。しかし私にとってそれと同じくらい印象に残ったのは、彼の隣にいた2人のメダリストたちの姿でした。

 

 銀メダルを獲得したギリシャ代表のエマノイル・カラリス選手。そして銅メダルのオーストラリア代表、カーティス・マーシャル選手。

 

 デュプランティス選手が記録に挑んでいるその傍らで、カラリス選手はリラックスした様子で小型の携帯ファンを彼に向けて風を送っていたのです。自らも表彰台に立つ競技者でありながら、その姿はまるで兄弟のような、パートナーのような、あたたかいまなざしを帯びていました。マーシャル選手もまた、その隣でそっと寄り添うように微笑みで、試技を見守っていました。彼らの表情は、TV画面を通してもおよそライバルのそれではなく見えましたね。

 

 世界記録が更新された瞬間、彼らは自分のことのように両手を広げて喜び、飛び上がるように祝福の拍手を送っていましたが、そこにはメダルの色や順位を超えた友情、尊敬、そして純粋なスポーツマンシップを感じることが出来ました。

 

 この場面を見て、私はハッとさせられました。

 

 スポーツとは、本来「競争」であるはずであり、記録を争い、勝敗を分かつ場であるはずです。それなのに、なぜ彼らはあれほどまでに、お互いを思いやれるのか。

 

 おそらくそれは、自分の限界に挑んだ者だけが知る「孤独」と「尊敬」があるからだと思います。どれほど自分を追い込んできたか。何度も心が折れそうになったか。その全てを理解し合えるからこそ、競技を終えたあとに、純粋な気持ちで喜び合える。

 

 これは私たちの仕事や人生でも同じでかもしれませんね。

 長くなったので、続きは次回。