CEO blog

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【 新しい生命を迎える覚悟 】

2026.07.07

 実は、、、先月6月7日、我が家に新しい家族がやってきました。

 一部の方々にしかお伝えしてなかったのですが、生後3か月の仔犬です。まだ小さな身体で一生懸命に新しい環境へ慣れようとする姿を見ていると、自然と笑顔になっている自分がいます。

 しかし正直に言えば、この日を迎えるまで、私の気持ちは決して整理できていませんでした。愛犬Cooを見送ってから約1年半。時間は確かに流れているのに、私の中では、あの日から時計が止まったままのような感覚が続いていました。


 以前のブログでも書きましたが、今でも家の中でふとCooを探してしまうことがあります。玄関の音に反応したり、静かな夜に鳴き声が聞こえたような気がして振り返ったり。1年半という時間だけでは消えないものが、確かに私の中に残っています。だから私は、新しい犬を迎えるという決断に、どうしても踏み切ることができませんでした。新しい生命を迎えることが、どこかCooを忘れてしまうことのように感じていたからです。

 もちろん頭では、それとこれとは違うことは分かっています。しかし心は、そんなに簡単には整理できません。もし新しい仔犬を心から可愛いと思ってしまったら、それはCooを裏切ることになるのではないか。そんな気持ちさえありました。

 だから私は、「まだその時ではない」と自分自身に言い聞かせていました。しかし家族は、「また犬と暮らしたい」「もう一度、家族みんなで生命を育てたい」という想いを、少しずつ口にするようになりました。何度も家族と話し、自分自身にも問いかけました。そして最後は、家族の想いに背中を押される形で、新しい仔犬を迎えることを決断しました。今思えば、それは新しい犬を飼うという決断ではなく、もう一度生命と向き合うという覚悟だったのだと思います。

 迎えた当日、小さな仔犬は緊張した様子で部屋の中を歩き回り、恐る恐る私たちの顔を見上げていました。その姿を見た瞬間、不思議なことに最初に思い浮かんだのは、Cooが我が家へやってきた日のことでした。あの頃もこんなに小さかった。こんなに無邪気だった。そして、あの日から私たちは数え切れないほどの時間を一緒に過ごし、喜びも悲しみも含めて、本当の家族になっていったのだと思います。


 その時、改めて感じたことがあります。生命との出会いとは、「未来の時間を預かること」なのだと。今日から始まる楽しい時間だけではなく、いつか必ず訪れる別れまで含めて、その生命を受け入れることなのだと思います。


 犬と暮らせば、病気になることもあります。年老いていく姿を見る日もやってきます。そしていつか、どれだけ望まなくても別れの日が訪れます。私はCooとの別れを経験したからこそ、その現実を以前よりずっと重く理解しています。


 それでも、もう一度新しい生命を迎える。それはCooとの悲しみを忘れたいからではありません。Cooと暮らした時間が、それ以上に素晴らしく、幸せなものだったことを知っているからです。

 新しい生命を迎える覚悟。それは別れを忘れる覚悟ではなく、もう一度、生命を心から愛する覚悟なのだと、今は思っています。一部止まっていた我が家の時間が、もう一度動き出したような、そして新しい光が差し込んでくるような、そんな大切な6月7日となりました。

【世界目指す若者たちが、日本の未来を創る】

2026.07.01

 今回のワールドカップを見ながら、私が最も強く感じたことがあります。それは、これは決してサッカーだけの話ではないということです。日本代表が示してくれた姿は、そのまま今の日本、そして日本企業が目指すべき未来そのものだと感じました。

 私は以前から弊社メンバーへ、「チャレンジしない組織に成長はない」と伝えています。安全な目標を掲げれば、達成率は高くなるかもしれません。しかし、それでは組織は大きく変わりません。本当に組織を成長させるのは、「届くか分からないほど高い目標」に本気で挑み続ける姿勢です。

 今回の日本代表は、まさにそれを体現していました。世界一という目標を掲げたからこそ、ブラジル相手にも臆することなく、自分たちのスタイルで勝負しました。敗れたとはいえ、その姿勢は世界に対して日本サッカーの現在地を示した、大きな一歩だったと思います。

 これは我々川口グループが掲げる「プロフェッショナルチャレンジ」と全く同じ考え方です。挑戦とは、成功が約束されているから行うものではありません。未来を変えたいという強い意志があるからこそ、人は挑戦するのです。

 そして今回、もう一つ強く感じたことがあります。それは、日本の若い世代の頼もしさです。彼らは世界を恐れていません。海外へ飛び込み、自分の実力を証明し、世界一になることを本気で目指しています。その姿勢はサッカーだけではなく、スポーツ、研究、芸術、そしてビジネスの世界にも確実に広がっています。

 私は、日本の未来を悲観していません。少子高齢化や人口減少など、多くの社会課題があることは事実です。しかし、その課題を乗り越えようとする若者たちがこれだけ育っている限り、日本にはまだまだ大きな可能性があります。

 だからこそ私たち大人の役割は、挑戦を止めることではありません。失敗を責めることでもありません。若者たちが思い切って挑戦できる環境を整え、その背中を押してあげることだと思っています。

 企業経営も同じです。社員が失敗を恐れる組織では、新しい価値は生まれません。挑戦したことを称え、失敗から学び、次へ活かす文化がある組織だけが、未来を切り拓くことができます。それこそが、我々が目指す組織文化でもあります。

 今回、日本代表の敗戦を見ながら、私は30年前のドーハを思い出しました。そして同時に、「日本は本当に強くなった」と心から感じました。結果だけを見れば敗戦です。しかし、その内容も、目標も、選手たちの覚悟も、あの頃とはまったく違います。

 敗戦の先に見えたのは、終わりではありません。

 それは、日本の新しい時代の始まりです。

 私は、自分が生きている間に、日本代表がワールドカップを掲げる瞬間を見られると本気で信じています。それはもう夢物語ではありません。世界一を本気で目指す若者たちがいる限り、日本の未来はきっと明るいはずです。もちろん簡単ではありませんが、信じ続けなければ実現することもまたないでしょう。

 そして私自身も、その若者たちに負けないよう、鳥取から世界へ挑戦し続けたいと思います。4年後、日本代表が再び世界の舞台で躍動する姿を楽しみに待ちながら、我々もまた、それぞれのフィールドで世界を目指して歩み続けていきたいと思います。

【ドーハの悲劇世代から、世界を目指す世代へ】

2026.06.30

 FIFAワールドカップ2026、日本代表の挑戦が終わりました。掲げていた「世界一」という目標には届かず、準々決勝でブラジル代表に敗れるという結果となりました。しかし試合終了の笛が鳴った瞬間、私の胸に込み上げてきたのは失望ではなく、不思議なほど大きな希望でした。

 私は1993年の「ドーハの悲劇」をリアルタイムで見てきた世代です。あと数十秒で日本サッカー史上初となるワールドカップ出場が決まる、その瞬間に夢が消えた光景は、今でも鮮明に記憶に残っています。そして2年前、実際にドーハのスタジアムを訪れ、当時テレビ越しに見ていた景色を思い浮かべながら、30年以上という歳月の重みを静かに感じていました。

 あの頃の日本代表は、「ワールドカップに出場すること」が最大の夢でした。海外クラブでプレーする日本人選手はほとんどおらず、世界と互角に戦うことなど、多くの人が想像すらできなかった時代です。試合後、オフト監督に抱きかかえられ涙を流す選手たちの姿を見ながら、日本サッカーはまだ世界には遠い存在なのだと感じたことを覚えています。

 しかしその悔しさこそが日本サッカーを変えました。Jリーグが発足し、多くの選手が世界へ羽ばたき、欧州のトップクラブで活躍する日本人選手が次々と誕生しました。そして今、日本代表はワールドカップ出場を当然の目標とし、その先にある「世界一」を本気で目指すチームへと成長しました。

 今回の大会で私が最も印象に残ったのは、選手たちが迷うことなく「優勝」を口にしていたことです。それは大きな夢を語っているのではなく、自分たちなら世界一になれると本気で信じ、そのための努力を積み重ねてきた者だけが口にできる言葉でした。

 私たちの世代は、「世界に追いつくこと」を目標に育ちました。しかし今の若い選手たちは、「世界を追い越すこと」を当たり前のように考えています。この意識の変化こそが、日本サッカーをここまで成長させた最大の要因ではないでしょうか。

 その姿は、先日の野球WBCとも重なります。世界大会でベスト8やベスト4という結果では満足できず、優勝できなかったことが悔しさとして語られる時代になりました。野茂投手を見てきた世代からして、日本とアメリカが同じ土俵で戦うなんて、想像すらしていませんでしたし、30年前では考えられなかった価値観です。それだけ日本は世界基準で勝負する国へと変わったということなのでしょう。

 もちろん今回の敗戦は悔しい結果です。しかし私は、この敗戦を「終わり」とは全く感じませんでした。むしろ世界一を本気で目指したからこその敗戦であり、その挑戦には結果以上の価値があったと思います。

 30年前、ワールドカップ出場が夢だった日本。

 そして今、ワールドカップ優勝を本気で目指す日本。

 この30年間で、日本サッカーは想像を超える進化を遂げたからこそ、この敗戦の先に、日本サッカーの新しい未来を見たような気がしています。