CEO blog

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【川口グループ パーパス】

2022.08.01

 5月このCEO Blogにて、「パーパス」について記載を致しましたが、ここで本年新たに設定した「川口グループ パーパス」を発表致します。

 

【 川口グループ PURPOSE / パーパス(存在意義)= why 】

 

『モノ創りの力で鳥取の潜在価値を解き放ち、すべての生命へ幸福と感動を届ける』

 

   「モノ創りの力で」 = KGPコアビジネス <川口グループ最大の強み>

   「鳥取の潜在価値を解き放ち」 = KGPイノベーション <新たな鳥取価値を創造&発信>

   「全ての生命(いのち)へ」 = KGPステークホルダー <家族・仲間・命・自然・地球>

   「幸福と感動を届ける」 = KGPレスポンシビリティ <実行すべき社会的責任>

 

 以前記載の通りパーパスとは企業における、「社会的存在価値・意義」であると捉えています。何故我々が、この地でオペレーションをおこなっているのか。この永遠のテーマに対して、明確な回答がこのパーパスになると信じています。

 

 実は今回このパーパス設定に関して、心から尊敬する方に多大なる御協力を頂きました。残念ながら私は言語力に乏しいので、私と我々の想いをお伝えし、そしてこれを言語化して下さったフレーズが上記パーパスです。

 

 正直私の想像以上の素晴らしい出来栄えのフレーズで、プライスレスとはこのことかと思えるほど、言葉の強大な力を感じています。出来上がった瞬間、その方の感性と才能、そして何よりセンスある言語力に、感動以上に圧倒された程で、それほど我々の存在意義が明確に、そして完璧にフレーズ化されています。

 

 この場を借りて心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 川口グループは、未来型価値観を共有出来るダイバーシティー社会の実現の為、地域社会における当社の存在意義を追求し、全てのステークホルダーと川口グループパーパス共有を目指します。


 そして我々はこのパーパスを掲げ、オールメンバーにて一致団結し、全ての生命(いのち)に幸福と感動を届けていくことを、このコミュニティと約束します。

【安部元首相とリーダーシップ ②】

2022.07.30

 個人的には近い将来、安倍首相再登板より、安倍外務大臣が見たかった。彼の外交力、交渉力、行動力、そして何より戦後最長首相在任期間で築き上げた他国との関係性は、ここ近年の日本人政治家の中でもトップレベルで会ったことは明白だ。

 

 勿論、彼を好ましく思ってなかった国もいたことは間違いないし、首相経験者が外務大臣になったという前例は皆無だろうが、それでも安倍元首相であれば日本の外交に明るくなる可能性があったはずだ。

 

 少なくとも現在の日本に、彼より外務大臣としてのポテンシャルを持った政治家がいるだろうか。

 

 日本は長い間、耐え忍ぶという美学を貫き通した結果が、今の世界での日本という国の立ち位置だと感じる。要するに問題の先送り外交だ。総理大臣在任期間そのものが長期政権にならないという、現在の日本のシステム自体に問題あるから尚更だ。

 

 政治そのものが我々の想像を絶するほど繊細で難しいであろうことは承知の上でだが、結局失敗を恐れてしまうという日本人的な発想が、この決断できない、問題を先送りにするという外交に繋がっていくのであろう。

 

 しかしどうして日本人はここまで「ミス」を恐れる国民性になってしまったのだろうか。どうして「決断」をすることを恐れる国民性になってしまったのだろうか。

 

 「ミス」や「決断」を恐れる社会になると、当然の如くリーダーが育ちにくくなる。何故か?誰しもリスクをテイクしたくなるからだ。それはどういった弊害がおきるのか?チャレンジしにくい社会になってしまうということでもある。

 

 結局誰からも攻撃されたくないし、無難に生きていきたいということが最優先されるということ。それは即ち「夢」を掴むチャンスもチャレンジしなくなるということでもある。

 

 人に優しく、人を敬い、人の為に生きることは、当然の如く人として大切な事だ。しかしながら、人の為にも、決断をするというチャレンジが出来るリーダーを育成することが、今の日本には最も必要だと切に感じる。誤解を恐れず発言すれば、人にどう思われても自分の信念を貫き通すリーダーこそ、今の日本には必要ではなかろうか。

 

 安部元首相とは、そういったリーダーであったと私は感じている。

 

 日本は稀代のリーダーを失ってしまった。

【安部元首相とリーダーシップ ①】

2022.07.29

 安部元首相が亡くなった。

 

 当然の如く、彼の生前の功績に対してメディアは騒ぐ。彼ほど賛否両論に評価の分かれる政治家は、ここ近年いなかったことを考えると当然であろう。

 

 そもそも私は安倍元首相に対してポジティブな印象を持っていた。理由は単純明快で、彼は一国のトップとして、他日本人には無い卓越したリーダーシップを持っていたと感じていたからだ。私は小泉首相の時代に日本で暮らしていなかったので、彼のリーダーシップに関して全く分からないので評価できないが、彼を除くと、おそらく安倍元首相は私が大人になってから見てきた政治家のリーダーシップでは圧倒的No.1である。

 

 この意見に関して当然賛否両論あろうかと思うが、私の考えるリーダーシップとは、決して万人から好かれることではない。いくら人から好かれようが、決めること・実行することが出来ない人はリーダーではないというのが私の中でのリーダーシップ論だ。

 

 例えば 「決めること」 は、リーダーが周りに気を使っていてばかりでは、いつまでたっても決まらないだろう。100人中100人が納得する答えなど無いことは、誰でも分かっているはずだ。しかし日本人リーダーは決めるべき時に決められないことが多々ある。逆にいうと、決められない人がリーダーをするほど、フォロワーを不幸にすることはない。

 

 少なくとも近年の他首相より、安倍元首相はスピード感をもって決めてきた事案が多々あった。ただしこの強引な決め方に問題があったからこそ、苦言を呈せられることが多かったことは事実だ。だがその決め方すら時として必要であり、それこそある程度の強引な突破力を必要とするのが、今の日本の政治ではないだろうか。要するにスピード感をもって何も決められないということ。

 

 それはここ近年の歴代首相を思い起こしてみれば、極めて単純明快ではなかろうか。なんと決めれない政治家が多く、更に決めさせない政治家が多いことか。決断するということは前進するとうことであり、決めないということは前に進んでいない状態であることは、誰が考えても分かる事実だ。そしてリスクを恐れて決断できないということは、単に問題の先送りでしかない。

 

 現実として、安部元首相の後任の方々は、決断力、突破力が安倍元首相のようにあっただろうか。特にこの二年間は新型コロナウイルスとの戦いであり、日本にとって歴史的国難だ。こういう時代だからこそ決断力、突破力が必要であり、国民はそういうリーダーをこそ支え、ついていこうと感じるのはないだろうか。不確実な現代社会では尚更だ。

 

 今回の事件で、そういった決断力、突破力のある稀代のリーダーを失ったことは、日本にとって大きな大きな損失だと感じる。