【第52回 鳥取しゃんしゃん祭り 傘踊り出陣】
2017.08.178月14日(月)第52回 鳥取しゃんしゃん祭りが開催され、例年通り弊社も「川口グループ連」として総勢約50名にて参加してきました。
早いもので今年で4年目の参加となりましたが、今年は去年より更に創作踊りをバージョンアップさせたようです。当然踊る方は大変でしょうが、我々街頭から見学するものにとっては、踊りの美しさや鮮やかさの完成度が毎年レベルアップをしており、それを間近で感じることが出来ることは大きな楽しみの一つです。
本番当日は2時間半の長丁場で踊りますが、今年は残念ながら雨により9時までの予定が8時半までとなりました。まぁ、雨乞い祭りなんで正しい姿なのかもしれませんが・・・。ただ、立場的に参加者全てに最後まで踊らせてあげたかったというのが本音ですけど、こればっかりはしょうがありません。
立場的にというのは、やはり皆の日々の努力を見ているからです。毎年春先からその年のしゃんしゃん祭り実行委員会というのが発足し、今年は歴代初の女性総監督となった本部さんを中心に、平日業務後と日曜日に地区の体育館を借りての練習という名の猛特訓であったようです(笑)
レベルが上がっていることにより、当然新人さんには非常にハードルが高かったようですが、それでも今年は新しい顔ぶれがかなり増えていたことは嬉しい限りでしたね。
そして今年も「美クラス」に入ることが出来、なんとこれは企業連としては最上位であったようです。よって我々はバードハットからスタートし、一番盛り上がる駅方面から本通りに入るルートで演舞が出来たことで、皆例年以上に誇らしそうに見えました。
例年言いますが、私の求める理想の会社像がこの「川口グループ連 傘踊り」に全て詰まっていると言っても過言ではありません。
私が一切この傘踊りに関わらなくなり早2年、参加社員メンバーのみで全て運営出来ています。私がでしゃばると、どうしても企業人として出ないといけない雰囲気はゼロではないでしょう。しかし私が関わらなければ、本当に踊りたくって踊っているメンバーのみが参加してくれるはずです。これが企業連の本質だというのが私の考えです。
今のメンバーは本当に楽しそうに踊っています。これは4年前と今年とでは慣れもあるでしょうが、確実に笑顔がいきいきしてましたね。
当日の打ち上げにて、本部総監督より来年はこれまた女性の瀧村総監督に引き継がれとの発表があったようですが、また新しい何か楽しいことが起きるといいですね。
組織というものはトップが替ると組織も変わります。しかし土台が出来た今なら決して悪い方向には行かないでしょう。どういう化学反応があってもどういう方向に進んでも、それはきっと正解となるはずです。
仕事や日常と同じで前に進み続ければ失敗なんて無いんです。来年のしゃんしゃん祭りも、「川口グループ連」にとって大成功となるでしょう。常に前に前にです!!
当日の参加してくれた「川口グループ連」と沿道に応援に来てくれた社員の家族や他社員の方々全てに、心からの感謝と心からの拍手を送りたいと思います。
彼らは私の最大の誇りです!!
【偉大なる先人との別れ】
2017.08.088月8日(火)米子光風葬祭センターにて㈱川口義治商店時代 米子支店長 中川浩氏の告別式に参列してまいりました。
前日月曜日朝から関東出張中でしたが、なんとかスケジュール調整出来、半日だけ鳥取に戻り告別式に参列出来ました。その週は前述のとおり、日本列島は週明けから台風5号が直撃の最中でしたので、私のフライトは全て欠航や大きな遅延もなく無事に移動出来たことは本当に幸運でした。
訃報を聞いてから3日間いろいろな思いが交錯する中、告別式で御本人に直接お目にし、やっと現実と直視出来ました。故人のお顔を拝見した瞬間、私の中で二つの思いが交錯しました。
一つは米子支店長としての中川氏。当社が鳥取市のみで商いをしていた昭和40年代から50年代に、鳥取県西部へ米子へ弊社の農業資材を広げろという先代川口義治の命を受け、中川氏は米子に通いつめ米子支店を立ち上げ、結果ご自分も鳥取市から米子市へ移住をされました。
私が10代の時、何度か夏の繁忙期に配送アルバイトをした際にもお世話になりましたが、いつも笑顔でアドバイスや指導してくれた本当に優しく温かい方でした。
そして2010年私が帰国し入社した際、既に中川氏は定年後でしたので米子営業所室長として再会。皆の前では上司と部下という関係から敬語を使ってくれ違和感のある関係でしたが、二人でいるときはいつも当然ながら先輩口調でアドバイス下さったり私も相談したりと本当に頼りになる方で、ビジネスパーソンとして心から尊敬する大先輩でした。
もう一つの思いとは、実は私の子供の頃に遊んでくれた中川のおじちゃんという関係性。私がまだ6,7歳だった頃、当時の当社はまだ社員も数名しかいない小さな会社でした。その分本当にアットホームで、中川氏は私にとって遊んでくれる優しいおじちゃん。当時は小さな会社で当然金が無いからか、中川氏が鳥取市に戻ってくるときは私の実家に宿泊。幼い私にとって本当にそれが楽しみであったことを昨日のことのように覚えてます。
酒も浴びるほど飲まれてましたが、それでも遊んでくれる優しい優しい方でした。
お顔を拝見した瞬間、この二つが交錯し走馬灯のように思い出し、それは私自身不謹慎にも笑顔になってしまうほどに鮮明に蘇ってきました。
そして何より私の心を熱くさせてくれたのは、この告別式に弊社社員25名が参列してくれたことです。リバードコーポレーション㈱ ケイビーシー㈱ リバードペット㈱ 実は今日現在全ての会社が経験無いような繁忙期を迎えております。その中で、25名のメンバーが米子まで足を運んでくれたこと。これは同時に彼らを送り出すことによって、オフィス、製造現場にて皆を支え続ける留守番メンバーの尽力によって成り立っていることを意味し、この時期として奇跡に近い参列者数でした。
それは感謝という言葉以上が見つからないほどの感動です。
中川さんが目指した一人一人を大切に愛情を持った企業経営哲学が、彼らにも脈々と流れている。それを感じたからこそ、私の中で熱いものがこみ上げてきました。きっと中川さんも天国から喜んで頂いたんではないかなと思っています。
同時に私はこのメンバーとこれから先もきっとやっていけると確信出来た瞬間でもありました。
企業とは生き物であり、企業とは人有きで、企業とは人によって支えられ運営出来ている集合体です。たとえそれが現時点で実現出来ていて、そして順調にいっていたとしても、それはまぎれもなく先人の流した汗や涙の結晶のおかげであることを決して忘れてはなりません。
偉大なる先人と、偉大なる仲間に対する感謝の気持ちを忘れることなく、明日からもまた中川氏へ誇れる100年企業創造の為に邁進する思いが更に強くなりました。全ての方々に感謝をし続けることを忘れないように。
「お疲れ様でした、中川支店長。バイバイ、中川のおじちゃん」
【偉大なる先人の訃報】
2017.08.06真夏の盛り8月5日(土)夜、リバードコーポレーション㈱の前身である、㈱川口義治商店を創成期から支え続けた、中川浩氏が享年74歳で他界されました。
実は1年半ほど前から肺癌であるということは聞いており、昨年ご自宅にはお見舞いには伺っていましたが、つい先日再入院されていると一報が。すぐさま先月7月20日に米子営業所会議の後病院に伺い、一時間ほどお逢い出来た矢先の訃報でした。
お亡くなりになられた5日土曜日は台風5号日本列島直撃直前ということで、我々関係者は収穫を控える鳥取県名産品二十世紀梨への影響を不安視する最中でした。そして気温もまさにうだる様な暑さを迎えたそんな週末土曜日。
その日私は久しぶりに週末を鳥取で過ごしており、朝所用で出かける為自宅の駐車場に停めている車に乗ることに。すると車の横に動かないセミが一匹。私の運転席のドアを開ける音で、そのセミが飛び起きるようにジージー鳴きながら動き出したのです。死んでいるかと思っていたので私は少し驚きながらも、特に気にもかけず車を運転して出かけました。
ただ一瞬感じたのは、我が家の周りは木が少ないためか夏もあまりセミを見かけないので、珍しいというかなんだか不思議だなという思いが少しよぎりましたが。
そんな中その翌日日曜日の昼前に、中川氏がお亡くなりになられたとの一報が入りました。
中川氏は当グループ現会長の小学生からの同級生で、大学卒業後、川口義治商店に就職し、その後米子支店を立ち上げ初代支店長となり、70歳直前まで約半世紀に渡り弊社を支えてくださったまさに川口グループにとっての歴史そのものというべき方でした。
そして鳥取名産品である二十世紀梨と共に20世紀の我々を支えてくださった最大の功労者でした。鳥取県東部のみで商いをしていた当時の川口義治商店を二十世紀梨の資材と共に西へ西へと奔走し、まさに弊社と鳥取県の梨の発展に尽力くださった偉大なる先人でした。
こんにち当グループ企業それぞれビジネスを行うことが出来ているという事実は、紛れもなく中川氏の当時の流していただいた汗と努力の結晶が今の礎となっており、感謝の言葉以外見つかりません。企業というのは必ず偉大なる先人の方々の努力により継承され続けるものです。企業の歴史とは歴史の積み重ねでもあるということです。
先月のお見舞いに伺った際に、「もうすぐ盆だし県外で暮らしてる娘さん家族が帰ってくれば、お孫さんにも逢えますね。それまで頑張らんと。」っと私が声をかけると、「逢いたいけど、それまでもたんかわからんなぁ。」っとポツリ・・・。
あと一週間、無情にもその願いは叶わず。
私が訃報を聞いた6日(日)自宅にて車に乗る際に、昨日見たセミは完全に力尽きていました。我が家の庭には私が去年植えた梨の木が一本あり、何か見えないものを感じた私は、庭の梨の木の根元にそのセミをそっと埋葬しました。
安らかにお眠りください、そして天より我々を見守りください。