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【ノーベル物理学賞 – 調和力】

2021.10.10

 前回、真鍋さんノーベル物理学賞受賞に関し、「好奇心」についてブログを書きましたが、この記者会見で個人的に最も興味深かったのは、記者が真鍋さんに、なぜアメリカ国籍に変更したのかという質問でに対する真鍋さん御自身の回答。

 

「おもしろい質問ですね。日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。

 

 だから、日本人に質問をした時、「はい」または「いいえ」という答えが返ってきますよね。しかし、日本人が「はい」と言うとき、必ずしも「はい」を意味するわけではないのです。実は「いいえ」を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。とにかく、他人の気に障るようなことをしたくないのです。

 

 アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」

 

 真鍋さんにとって、アメリカではやりたいことが出来るということが非常に大きいのだという。これは先日のブログに記載の通り、潤沢な研究費用があるというバックグラウンドも大きな理由の一つでしょう。その上で彼の最後の言葉が印象的でした。

 

「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」

 

 会場では笑いが沸き起こっていましたが、私にとっては深く考えさせられる言葉でした。確かに日本はまわりと調和しなければならないという教育の元、それは最低限の社会ルールだと教えられて生きています。

 

「人に迷惑をかけてはいけません」

 

 日本人であれば、誰しも人生の中で一度は誰かに言われてきた言葉だと思います。しかしそれは本当にそうでしょうか?もちろん犯罪になるようなことで人に迷惑をかけることは論外ですが、一般生活の中で人に迷惑をかけるということは、日常の必然ではないでしょうか。迷惑レベルにもよるでしょうが、そこに必要以上にこだわることにより、遠慮がうまれ個性を発揮するチャンスを奪われているのかもしれません。

 

 かといって、「協調力」は日本人の大きな強みであり、これにより組織が強固になる例は多々あることは周知の事実です。

 

 結局は昔からある、「個」vs「組織」というどちらを重んじるのかという、民族性や国の文化に繋がるところなので、簡単にはどちらが正しいという議論は不可能だとは思います。

 

 要するに私レベルでは答えの分からない比較ですが、それでも真鍋さんの言葉には考えさせられる部分が大きいですね。

 

「調和力」

 

 これもまた、真鍋さんから感じた「好奇心」からきている言葉かもしれません。いずれにしても深く考えさせられ、大きな刺激になった真鍋さんの会見でした。

【ノーベル物理学賞 – 好奇心】

2021.10.09

 今年のノーベル物理学賞に、アメリカ・プリンストン大上席研究員の真鍋淑郎さん(90)が受賞というニュースが舞い込んできました。

 

 90歳という年齢を感じさせない程、ユーモアとウィットにとんだ記者会見で、全ての方々を笑顔にさせる素晴らしい内容でした。これは研究者ならではなのか、アメリカ在住が長いからなのか、とにかくセンスあふれるコメントに感嘆した日本人も多いのではなかろうか。

 

 「私はいきなり何かを考え始める。すると、運転中も信号にも気を配れなくなる。でも妻はグレートドライバー。私は100%研究に集中できる、中華や和食、イタリアン。毎日、妻の料理を楽しんでいる。食事に関して私は最も恵まれた人間だ」

 

 真鍋さんの奥様に対する感謝の気持ちの言葉にも、会場には笑顔と笑いが起きていました。伝え方も、言葉のチョイスも全てが素晴らしく、聞く者の心を惹きつける力が真鍋さんにはあるということでしょう。

 

 そして奥様のお陰で研究に没頭出来たという感謝の言葉の後、御自身の研究に突き動かせた原動力をこうコメントされていたのが印象的でした。

 

「60年代には、気候変動がこれほどの大問題になるとは想像していなかった。研究を突き動かしたのは好奇心。最も面白い研究は好奇心によって行われたものだ」

 

 繰り返し、「Curiosity(好奇心)」 を言葉として強調されていました。それだけに、日本の現状については

 

「好奇心に基づく研究が少なくなってきているのではないか」

 

 現実問題として日本は研究費がそこまで大きくない為、長期的ビジョンでの研究が出来る環境が無いのであろう。即結果が出ないものには投資が出来ないのだろうという推測は容易に出来る。日本とアメリカでは研究環境が大きく違うがゆえに、いくら好奇心に基づいても研究費用が捻出されないということは多くの研究者のジレンマでしょう。

 

 それでも「好奇心」という言葉を、90歳の方が繰り返し発言されるというのは新鮮以外の何物でもありません。人は生涯勉強し続けることが出来る生き物だということを御自身で証明されていらっしゃるということですね。全ての研究は好奇心からというのは良く言ったものですが、我々一般人の人生も同じだと思います。

 

 我々の人生もまた「好奇心」からスタートし、何かに発展していくものなはずですし、そうあってほしいと私は思います。「好奇心 = 興味」であり、これがあるからこそ人生は豊かになり、何かのモチベーションになり、生きるための大切なものを与えてくれる大切な要素だと感じます。

 

 多くの日本人が良く言うフレーズに、「若い頃、勉強しておけば良かった」っと、誰しも一度は聞いたことがあるかと思います。これを聞くたびにいつも不思議に思いますが、人の人生とは最後の時まで勉強できるわけで、どうして勉強することが若い時代の専売特許みたいになっているのだろうかと。

 

 「勉強しておけば良かった」と思うなら、「今勉強すればいいのに」っと普通に思ってしまいます。大学生とは20歳前後の専売特許ではありません。何歳になっても大学行けばいいし、実際大学が20歳前後と考えている国は、日本くらいのもので、他のどの国でも年配の方々が普通に通っています。

 

 日本人の固定観念から、学ぶことが若者だけのものになっているのは残念でなりません。言い換えれば、「好奇心」を持つことは若者でなければならないとも聞こえなくないということですよね。

 

 しかしこういったことを考えれば考えるほど、90歳でなお「好奇心」を追い求めている真鍋さんの偉大さと素晴らしさを感じずにはいられませんよね。だから我々凡人との違いといえばそれまでですが・・・。それでも「好奇心」を追い求めた人生を歩みたいという気持ちは強く持てました。

 

 そういった意味でも、そういった90歳の真鍋さんに対して、「好奇心」を持ってしまった会見でした。

【911 – 後編】

2021.09.18

 私自身このWTCアタックの衝撃は、色々な意味で凄まじいものでした。何故ならば、この3カ月前に、World Trade Center を訪れ、ビル屋上の展望台デッキに登っていたからです。

 

 当時生まれて初めてNew Yorkを訪れ、自由の女神やセントラルパークといった、いわゆるNew Yorkの王道を1週間かけて観光。当然の如く、World Trade Centerは外せない名所。朝から展望台へのエレベーターの行列に並びました。

 入居企業を見ると、意外なほど多くの日本企業の名前が立ち並んでおり、まだまだ日本企業が元気であった時代で、私も誇り高く感じたものです。驚いたのが、なんとこのビルには山陰合同銀行さんのネームがあり、同じ山陰の人間として本当に嬉しく思った記憶まで鮮明に覚えています。

 

 そして今でも克明に覚えているのが、屋上に登った際の風景。WTCの屋上展望台デッキとは、屋根も無く普通に柵があるだけなんです。外にむき出しなので、当然風は凄まじく吹き、それでも空は近く、自由の女神とマンハッタンに挟まれ超絶景。下を見下ろせば、無数の車が走っているのが分かるが、点にしか見えないほど小さなもの。ゴージャスのビルのわりに、屋上の作りは質素というか極めてシンプルでした。しかしその開放感ある展望デッキは、他の高級展望台なんかよりよっぽど贅沢な空間であったため、今でも忘れられない景色がそこにはありました。

 

 日本のビルやタワーの展望台はほぼ例外なくガラス張りです。屋外という概念自体があまりないのかもしれません。勿論ある程度の高層ビル程度なら屋外もあるでしょうが、100階建てを超えるビルで屋外展望台ということは、いかにもアメリカらしい発想です。

 

 高いところは結構好きなので、色々な国で展望台見ましたが、今でもダントツNo.1なのがWorld Trade Centerですね。

 

 その思い出深いWorld Trade Centerが、3か月後に無くなる。しかもツインタワーの両方が同時に。TVで繰り返される映像を何度も見ながら、自分がいたであろう屋上が崩落するシーンに、無力感すら感じられずただ茫然とTVの前に座っていた。

 

 実は911から約9年後の2010年、同じ場所、通称:グランドゼロを訪れました。911以降、出張でCaliforniaから何度もNew Yorkに訪れていましたが、仕事メインの為、行きたいけど時間が取れずが続いていました。

 

 が、しかし日本への永久帰国が決まった際、最後にNew Yorkにどうしてもということでの訪問。それでも今から10年程前です。当時はまだ新しいビル建設が始まる前で、グランドゼロの向かいにモニュメントセンターがあり、当然立ち寄りました。

 

 そこには遺品や遺族の方々のメッセージなどが展示してあり、当時の生々しい通信記録や、詳細が事細かにありました。日本人である私は、やはり日系企業に勤務されていた日本人の方々の遺品や家族のメッセージに目を奪われ、当時の凄惨な事故を垣間見ることが出来、自ずと恐怖感と涙が止まらなくなります。

 

 広島原爆ドーム博物館や、ドイツ・アウシュビッツに相通じるものがあるほどで、これは私の語彙力では伝えることが出来ないほど強烈なインパクトが押し寄せます。

 

 原爆ドームやアウシュビッツは、自らの脚で訪問し自らの目で見ることが出来ましたが、これらはあくまでも悲惨な出来事のAfterです。しかしこのWorld Trade Centerの出来事は、BeforeとAfterをたった3カ月で比較することとなってしまい、20年経過した今でも、自分の中で完全に整理できたとは言えないほど、不思議な体験です。

 

 そしてそれを感じることが出来た自分が、何を考え何を行動すべきかということは、未だに未熟な私には答えすら分かりません。

 

 「911」から約10年後、「東日本大震災」が起き、更にその約10年後の現代、「新型コロナウイルス・パンデミック」が起きている2021年。21世紀になり約10年ごとに未曾有の出来事が起きる中、どういった次の10年を過ごすべきなのかを深く考える時期なのかもしれません。

 

 人生は無限ではなく有限であるからこそ、どう死ぬかよりどう生きたかを今一度考える機会が、私にとっての「911」なのかもしれません。