【人間の可能性の祭典】
2021.08.30オリンピックに続き、パラリンピックが開催されている。通常のオリパラであれば、なかなか目にする機会の少ないパラリンピックだが、東京開催ということもあり通常大会より視聴している方が多いかと思います。
そのパラリンピックでパラアスリート初のJPC(日本パラリンピック委員会)委員長は、通算金メダル5個を含む21個のメダルを持つレジェンド河合純一さん。彼のコメントが、パラリンピックの全てをものがたるように感じる。
「よくオリンピックは平和の祭典といわれるが、パラリンピックは、人間の可能性の祭典。もっている可能性を発揮することが、人々が自分自身がもっている可能性に気づくことにもなり、想像をこえるパフォーマンスに触れた方々が、ご自身のなかにあるかもしれない無意識のうちにもつ心のバリアを取り除く力ももっているのではないか。」
なるほど、おっしゃる通りだとただただ頷いてしまうコメントだ。この言葉を思いながらパラリンピックを見ると、まさにこれぞ言い得て妙。人間の可能性は無限だ。毎日のようにそれを感じされるパラアスリートの方々に、人間の可能性が無限大だということを教えられることばかりですね。
そんな中、紹介したい素晴らしいアスリートの方がいらっしゃいます。
<メリッサ・タッパー(卓球)>
卓球のメリッサ・タッパー選手は、2016年のリオ大会でオーストラリア人として初めて、オリンピックとパラリンピックの両方に出場しました。先日、東京オリンピックの切符も獲得しており、2大会連続でオリパラの両方に出場することになります。
8歳で卓球を始め、右腕に麻痺などが起こる腕神経叢損傷という障がいを持ちながらも、18歳の時には健常者の選手も含めたジュニアアスリートのトップランク入りを果たしています。オーストラリアで開催された2018年のコモンウェルスゲームズのパラ卓球で、オーストラリア人初の念願の金メダルを獲得しました。
「パラアスリートであろうと、健常者のアスリートであろうと同じアプローチでそこに向かうだけ」「私の頭の中では、パラとか健常者とかの区別はありません」と、Tokyo 2020のインタビューで語っています。
オリンピックに出場するだけでどんなに凄いことかと思いますが、彼女はパラリンピックにも出場という、まさに途方もない偉業です。我々一般人は、知らないうちにオリンピックは健常者の大会、パラリンピックはそれ以外の方々の大会と決めつけていますが、そんなことはないというのを彼女が証明してくれています。
これこそ河合純一さんがおっしゃる「人間の可能性」に他ならないでしょう。
我々も知らないうちに、年齢を重ねるごとに「経験や常識」によって、「人間の可能性」即ち「個々の可能性」を封じ込めていることが多々あるでしょう。それは間違いなく人生においてマイナスにならずとも、プラスにならないことなはずです。何故ならば可能性とはポテンシャルであり、それは必ずポジティブ要素であるからだと私は信じます。
チャレンジすることの大切さを、パラアスリートから刺激と共に教えられる毎日です。もしかしたら「チャレンジ」とは、「人間の可能性」に向けた言葉かもしれませんね。この可能性こそ、全ての方々に平等に宿っている大切な要素です。人は死ぬまで成長できるということです。
明日からまた頑張ろう!っという強い気持ちになりますね。
【新甘泉】
2021.08.24鳥取の秋の足音といえば、鳥取梨のスタート。そして鳥取梨といえば今も昔も「二十世紀梨」。しかしここ近年は若い方を中心に、鳥取梨といえば「新甘泉」を連想される方も多いはず。この「新甘泉」は鳥取オリジナル梨で、青梨の二十世紀梨と違って、赤梨なのでとにかく甘い。糖度センサーに乗せて13.5度以上無いと「新甘泉」として認められない為、味のばらつきが極めて低く、品質も安定し美味しいこともあり、兎に角甘く人気があります。
しかし残念ながら今年は春の交配時期の天候不良、ヒョウアラレ被害、そして先日の収穫直前の台風での落下ということで、例年に比べて非常に厳しい年となっています。よって相場も異常なほど高騰、値段が上がるだけではなく、そもそも手に入りにくい状況になってきています。
そんな中、個人的に非常にお世話になっている方から、例年の恒例行事になりつつある、この「新甘泉」の梨狩りのお誘いを受けました。しかし今年はこの不作年。鳥取県全土、被害を受けている方が少ない状況の中、喜んで参加させて貰える年ではないので流石に恐縮していましたが、
「これだけ不作で、台風でも沢山落ちたのに、今更何個か持って帰ってもらっても変わらんわ!」
ってな、なんとも男前のお言葉を受け、図々しくも伺ってきました。
例年通りというか例年以上に整備された素晴らしい圃場で、梨狩りの為の圃場ではありませんが、梨狩りをするのには最高な環境。個人でやられていてこれだけ綺麗な圃場を仕上げるのは、鳥取県下でもなかなかいらっしゃらないと思うほどの美しさです。当然それだけ整備されているわけですから、梨自体も丹精込めて作られており、味にばらつきの少ない「新甘泉」とはいえ、なかなかこれだけ美味しい梨は無いというほど美味です。
梨は追熟する果実ではない為、当然の如くもぎたてが最高です。もちろん冷えているほど美味しいですが、冷えてなくとも美味しいのがこのもぎたて梨の贅沢な味わい深さ。まさにお金では買えない究極の梨です。
更には普段味わえない収穫の楽しさもあり、梨をもぎすぎてしまい・・・。不作の年なのに、本当に失礼なほど沢山の御土産もいただくこととなりました・・・。
昼前には家に帰り、早速冷やして夕方にまた食すると、やっぱり冷えている分またこれも美味い!!家族一同笑顔になり、なんとも言えない至福の時間となりました。コロナ禍で夏休み中、ろくに外出も出来ない毎日でしたが、最後の最後に素晴らしい夏の思い出が出来ました。
次の日、息子に今年の夏休みで一番楽しかったことは??って質問すると、
「新甘泉狩り!!!」
っと即答。ご厚意に甘えてのイベントでしたが、親としては非常に嬉しい返答で、私の方も幸せな気持ちになれました。コロナ禍で、更に不作の年でのこの梨狩り。感謝してもしきれないほど、有難いひと時となりました。本当にありがとうございました!!
【日本人の誇り】
2021.08.10金メダルラッシュに沸く東京オリンピックですが、個人的に非常に印象深い金メダリストが、新種目の空手男子形、喜友名諒選手だ。
周知のとおり、空手はこの東京オリンピック限定種目。この限定種目というと、どうしても野球・ソフトボールに目が行きがちだが、この空手も今回東京だけという競技。そしてどうしても古い発想が残っている私としては、オリンピックはアマチュア選手・アマチュア競技に目が行き力が入ってしまう。まあ、現代スポーツでは、プロ・アマの垣根の判断がかなりグレーになっているのですが・・・。
さて本題に戻って、この喜友名選手の空手形という競技、競技というか演武というかですが、極めて日本人そして日本文化の古き良き日本を感じる内容で、見ているだけで力が入りただただ引き込まれる独特の雰囲気が大きな魅力です。
そんな中、最も感動的なシーンであったのは、金メダルをとった直後のシーン。
彼は喜びを押し殺すように、最後まで日本人として礼節を尽くした。金メダルが確定した瞬間、彼は相手選手とまず握手と抱擁をかわしても表情を崩さない。その後、おもむろにコートの中央へと1人で移動して正座。そしてゆっくりと両手を前に付け、一礼。日本人で言う土下座の姿勢で、全ての人へ感謝を伝えた。会場は拍手に包まれる。彼は四方へ再度礼をしてその場を降りた。
そのシーンに、心震わされ、ただただ感動し、涙が止まらなかった。
これぞ日本の武道であり、日本人として誇らしく感動した。今の相撲界も大いに見習ってほしい程に・・・。
喜友名選手を中学3年の頃から15年以上指導したという、師匠佐久本さんこのインタビューが印象的だった。「彼のひたむきさが金につながった。努力の天才。手抜きをしない」。以前、彼の母紀江さんとは自身も「絶対に優勝させる」と約束していたおり、「本当に親孝行者」と万感の思いだったとのこと。
試合前、喜友名選手に「勝ち負けも大事かもしれないけど、武道の心を伝えたい」と語っていたという。最後まで礼節を大事にする姿に「礼に始まり礼に終わる。模範を示したと感じた」とうなずく。
頭を下げるという行為は、西洋人から見ると最もプライドが許されない行為の一つという意見も多い。しかし今回の喜友名選手の振る舞いは、日本人として心震わせる程、日本人の誇りを世界に示してくれた。
その「日本人の誇り」とは、「礼節を重んじる日本人」ということに繋がるかもしれない。いずれにしても日本人であることが誇らしく、そして素晴らしいシーンにTV越しとはいえ立ち会えたことにただただ感激した。
喜友名選手がどういった思いで頭を下げたかは本人しかわからないが、全てに感謝という気持ちはあったのだろう。そしてもちろん2年前に他界された最愛の母親に向けての感謝も含まれていたはずだ。
彼の全てがかっこよく、同じ日本人であることに誇りしかない。