CEO blog

CEO blog

【新本社屋 & 新工場 完成へのチャレンジ】

2020.02.09

 昨晩遅くに東南アジア出張から、鳥取戻ってきました。数時間寝て、日曜朝から新本社屋・新工場建屋の現場確認打ち合わせ。

 

 休日の中、弊社本プロジェクトマネージャーである田中さんと、建築会社の関係者にお集まりいただきました。そもそも私があまり鳥取いないからという理由で、日曜日に時間を取っていただき本当に感謝です。

 

 昨年7月に竣工式をおこない、そこから建築がスタートしましたが、今年は幸い雪が少ないため、工事も順調に進んでいるようです。私自身があまり見に来れないので、鳥取いるときは出来るだけ足を運んでますが、現場に来ると現代の建築スピードには感心させられますね。

 

 今回のこの建屋、大型投資ということもあり、慎重に進めたくというか慎重に進めなければならない案件ですが、私の中でこのオフィスを含めた会社メンバーが働くスペースは、大きなチャレンジをしようと思っています。

 

 それは、「攻める社屋つくり、攻めるオフィスつくり、攻める空間つくり」ということです。それは我々がいつも掲げる、「唯一無二」に目指すということです。例えばオフィスデザインやオフィス家具の選定。皆で議論を重ね徹底的に話し合うと、最終的に行きつくところは、「スタンダード」になるということです。即ち「スタンダード = 普通」になります。一言でいうと、どこにでもある普通のつまらないオフィスになるということ。

 

 しかし、我々の目指すオフィスはそれではありません。

 

 今回建屋の件で、色々な方々からアドバイスいただきました。一番よく聞いたフレーズが、「オフィスは金を生まないから、お金(投資)をかけるな」です。昔から日本人のビジネス感覚では、オフィスや建屋や倉庫は金を生まないというのが、ある意味常識となっています。だから生産性のある機械設備にお金はかけるけど、人やオフィスにはお金をかけない。

 

 ナンセンスの一言です。

 

 これは人財に生産性が無いと言っているのと同じことです。一般論ですがどこの会社も、「弊社の宝は人財です、弊社は人を大切にします」と掲げるのに、働くオフィスにはお金はかけない。もちろん給料などとは別の話として理解してほしいんですが、上記はナンセンスだと思うのは私だけでしょうか。

 

 私の持論ですが、素晴らしいオフィスは必ずお金を生みます。何故ならばそこに人財がいるからであり、人財こそがお金を生むわけです。AIが進歩しようと、ロボットが進化しようと、それらを使うのは人です。そして「イノベーション」を起こせるのはこの向こう10年は絶対に人です。勿論会社には資金上限がありますから、その範囲内が大前提ですが、その素晴らしいオフィス環境を会社は用意すべきというのが私の持論です。

 

 だからこそ、我々の新オフィスは人財の為にこそ攻めたいと思っています。

 

【~New Office 基本コンセプト~】

バイオフィリックデザイン(緑・木・岩・土・空)

 

 バイオフィリックデザインという言葉に関しての説明は長くなるのでまたの機会に。

 

 短い言葉で分かりやすく伝えると、オーガニック、即ち有機オフィスにしたいという想いです。きわめてピュアにしたいということであり、シンプルにメンバーが自然の中のカフェで働いているイメージ。農業、食品に携わってきた我々ですからこその、基本コンセプトになります。

 

 そしていつも会社メンバーに伝えている通り、建屋もオフィスも「唯一無二」となることが私のターゲットです。

 

 今回デザインを手掛けながら強く思いますが、私も壁にぶつかるとスタンダードなものに向かいたくなります。それは普通や一般的というのは、選択する側にとって極めて楽だからでしょう。何故ならば失敗の可能性が低く、後々人から批判されるリスクが低いわけです。

 しかしいつも会社メンバーに話しているように、「失敗を恐れず攻めよう」「唯一無二になろう」というのであれば、私がそれを貫かないと本末転倒となります。

 

 少なくとも鳥取には絶対に無かった、ありえないと言われるようなオフィスを目指します。建屋完成後、もし失敗すれば方々からコメントや時には批判もいただくこととなると思います。

 

 100%成功なんてことはありえないわけですから当然承知の上です。もしかして失敗する可能性の方が高いかも知れません。しかしそれでも、我々は攻めるオフィスを目指します。

 

 完成した際、こんなオフィスで働けて嬉しい、あんなオフィスで働きたいっというポジティブ意見を持ってくれるメンバーが、ネガティブ意見の方々より一人でも多ければ、私としてはやって良かったと思えるでしょう。

 

 そう捉えてくれるメンバーが我々の将来に必要な人財となると信じているからです。そういうメンバーを大切にしたいし、そして喜んでくれる方々を一人でも増やす為に、チャレンジを続けます。

 

 スタンダードに逃げるより、賛否両論が起きる方を選ぶことが、我々のチャレンジであり我々の進むべき方向性だと信じています。

 

 さて完成予定は今年7月 乞うご期待!!

 

 


【恩師の定年退職記念祝賀会】

2020.02.03

 1月25日(土)鳥取市内某所にて、私の高校時代野球部監督で、恩師でもある山本監督の定年退職記念祝賀会がおこなわれました。本当に有難いことにお誘いのお声をかけていただいたので、私も喜んで出席致しました。

 

 丁度出張続きの時期で、合間を縫うように鳥取戻ってきて、開催時間直前5分前に飛び込むように会場到着。次の日は早々にまた出張という強行スケジュールでしたが、もし欠席しては一生後悔する程の大切な会でしたので、無事に参加出来たことが何より嬉しくほっと致しました。

 

  鳥取東高野球部OB会の方々を中心に、準備から当日まで大変だったと思います。その尽力のお陰で各世代のOB大勢集まり盛大に開催され、合同大同窓会のようになり、本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。

 

 高校卒業して既に27年。自分的にはそこまで時間が経過した実感はありませんが、数字を見るとやはり驚愕の年月を経過しています・・・。野球部に入部したのが、15歳ですからそれこそ丁度30年前。しかし30年前ですが、山本監督とは今でも自分のその後の人生を、大きく左右したと言っても過言ではないくらい、衝撃的な出会いでした。

 

 沢山の衝撃を貰いましたが、何が衝撃ってその存在の怖さ・・・。今でもこの年齢になってお会いしても、体に力が入るほど緊張します(笑)今では年齢を重ねられ、いつも笑顔でいらっしゃるんですが、それでもというかそれがまた怖い・・・。まあ私の人生で、怖い人は誰?って聞かれたら、真っ先に浮かんでくるのはこの方です。ちなみに2番目は、私が1年時の3年生のキャプテンの方です・・・。私が45歳になってもそのランキングというか、ワンツーは終生不変ですね。

 

 しかし人生とは不思議というか、面白いもので、その怖くて怖くてしょうがなかったそのお二人が、今では大恩人になってくださっていることです。今の私があるのはこの出会いがあったからという言葉が大袈裟ではないくらい、本当に心から尊敬している方々です。

 

 そもそも十代の頃の私は、自分で言うのもなんですが酷かった・・・。何が酷かったって人間的に全部酷かった。今の私が見たら、「あ、こいつヤバイ。たぶんまともな人生歩まないだろうな」って思うでしょうね(笑)

 

 私が当時、もし監督に出会わなかったら、人生舐めたいい加減な人間になっていた可能性が大です。当然野球もたくさん指導していただきましたが、今思うと「人として」っということも強く指導して下さいました。

 

 当時高校3年間、毎日ノートにその日の日報を記入し、監督に提出し練習後に、監督の感想やフィードバックをそのノートに記入されて戻ってくるんですが、そこでも毎日いろいろなことを教えて貰いました。練習や試合は勿論、普段の学校生活のことも指摘されたり怒られたり・・・。試合の結果以上に生活態度に厳しい指導があり、そのボロボロになった3年間のノート全7冊は、今でも大切に保管している私の宝物です。

 

 その後高校卒業した後の20歳前後から監督とは疎遠になります。私は上京したり、渡米したり、新しい世界に出ていきますが、当然の如く辛いことも多々ありました。その辛い時、苦境に立った時、誰かに助けてもらいたいとき、必ず監督が私の脳裏に登場してくださるんです。何度も連絡したかったけど、今と違いコミュニケーション手段も限られている時代でしたし、自分の中でどうしても踏ん切りがつかず、連絡しきれなかったりという時期もありました。

 

 でも監督ならこう言ってくれるだろうとか、こう怒られるだろうとかってことはその都度想像していましたし、叱咤激励されることを想定していたこともありました。その心の後押しがあったからこそ、その都度乗り切れたことは事実です。

 

 自分で言うのはおこがましいですが、私の人生はチャレンジの連続だと思います。チャレンジが多いということは、それだけ挫折も多くなります。しかし挫折を、そしてミスや失敗を負けと認めない強さが私の中にあるとしたら、それはきっと山本監督に鍛えられたからと言っても過言ではないでしょう。

 

 今でも思うのが、監督の存在なくしてその時代を乗り越えることが出来なかったということ。苦しい時代に直接的に何をしてもらったわけでもありませんが、私の中にある監督の存在自体が私を救ってくれたことは、紛れもない事実です。それ程、その都度私の心を支えて下さる存在です。

 監督の方からすると、そんな私の思いは知る由もないでしょうけど・・・。

 

 自分の人生を振り返って、自分の人生を良い方向に変えて下さった恩人、尊敬出来る方、感謝すべき人として考えた際に、必ず浮かんでくるのが監督です。ちなみに私の人生で「監督」とは、「山本監督」のことであり、これは一生イコールになるはずです。他には存在しない、まさに唯一無二なんです。

 

 監督や恩師と呼べる方が自分の人生に存在してくださるということは、本当に幸せなことだと思います。この世界で、皆そうではないかもしれませんが、少なくとも私にはそう呼べる方がいる。こんなに幸せなことはないと、この年になると痛感します。

 

 ほとんど褒められたことはなかったけど、その数少なく褒められたことは、今でも鮮明に覚えています。まあその1,000倍怒られたんですけど、それも今では忘れられない良い思い出です。恐怖も凄かったですが、自分の糧になっていることは間違いありません。

 

 それら全て含めて「感謝」ですね。

 

 本来、定年退職記念祝賀会ですので、お掛けする言葉というのは、「おめでとうございます」もしくは、「お疲れ様でした」となるのでしょう。しかし私はおこがましくも、監督にそんな言葉はお掛けできません。私の立場から一生、労いの言葉をかけられるような御方ではないですし、今でもずっと受け身の対応や言葉しか考え付きません。

 

 ただ自分の素直な気持ちを表現し、言葉をお掛けするとしたら、この言葉以外見つかりません。祝賀会当日、この言葉はお掛け出来ませんでしたが、何よりも誰よりも、強く深い感謝の気持ちを込めて、、、

 

「監督 ありがとうございました」

S__3645461


【センター試験やってみた】

2020.01.25

 今年は超暖冬なので、例年以上に季節感が無い日々が続いていますね。この季節、センター試験のニュースをネットやメディアで見かけると、いよいよ真冬到来ってことを思い出させてくれます。以前は雪の中のセンター試験というイメージが強かったからでしょう。

 

 そんな中、日本海新聞を読んでいると、毎年恒例のセンター問題&解答集が掲載されており、思えば何十年ぶりに問題見たので、興味本位で少しチャレンジ!

 ただし全部やる気力も体力も当然知力も無いので、取り敢えず英語と国語と社会の一部だけ。数学や理科なんか、やったところで木っ端微塵にされるのが見えてるの最初から降参(笑)

 

 ちなみにセンター試験は、今も昔も基本問題が中心なので、学校でしっかり勉強していれば点の取れると言われる反面、簡単過ぎるとかと揶揄されることもある試験だということは私も理解していました。まあ、だから挑戦したというか挑戦出来たわけですが・・・。これが私大の試験ならチャレンジすらしないはず(笑)

 

 さて、私の結果というか感想は・・・むずい・・・むずかしすぎる・・・。国語や社会は答え合わせで心折れそうになるほど撃沈。

 

 英語は今ならそれなりに出来るだろうと思って挑みましたが、、、撃沈。自分の英語にここまで基礎が無いかと思う程の出来の悪さ。恥ずかしながら、英語も途中で心折れギブアップし完走出来ず・・・。

 

 印象としては我々の学生時代より、会話や発音等の問題が多く、より実用性が高まっているようですね。英語に関しては、思ったより良い問題だったというのが私の感想。勿論、センター試験の英語で200点満点取れたら、ペラペラに話せるかというと全く次元の違う話だが、それだけ出来れば少なくとも英語力という意味で、かなりのレベルであることは間違いないと思う。

 

 そもそもセンター試験論争は、今も昔も否定的意見が大多数を占める試験。日本の詰め込み教育に対する否定的な意見や、この試験自体の質の問題等、大体ネガティブ意見な論議となるパターンが多いはず。

 

 でも日本人に合っているというコンセプトで言えば、このセンター試験の英語は悪くないと思います。英語でビジネスをってことになると、もちろん話す聴くだけではなく、読解力は重要ポイント。何故ならば、欧米では話そうが聴こうが、契約書が全て。これを読み、そして完璧に理解してないと、大きな問題に発生するのが欧米の契約書社会である。

 

 日本人が外国で活躍する為には、話せるということより、こういう部分を理解する方がある意味重要だと思う。

 

 話はそれたが、センター試験に話題を戻そう。あくまでも個人的な感想では、何度も言うように日本人に合った良い問題であることは間違いない。では何故、何十年間否定的な意見が多いのか。

 

 私が思うにこの英語のセンター試験、どういった人財を国が育てたいかというコンセプトが、一般的に見えないのが問題なんじゃないかと感じました。この試験で高得点を取るその先には、日本人全員が、ある程度英語を話せるようにしたいのか。英語の本を皆が読めるような国民を増やしたいのか。それとも日本人として海外で活躍するビジネスパーソンを育成したいのか。

 

 これが明確にならないことが、日本人の不透明なグローバリゼーション化だと感じます。日本人はグローバル化とかグローバルスタンダードとかという言葉が大好きだが、その定義は非常に曖昧ですよね。20歳前後の学生が受ける試験であれば、そこが明確になる方向にしてほしいはずでしょう。

 要するに、だから英語を勉強すべきなんです!っていう試験ではなく、どういう人材になるための試験なんです!!ってことを明確にすべきことが重要だと考えます。

 

 例えばですが、新センター試験で満点取れても、外国人観光客に道を教えてあげることが出来ません。でも満点取れると英文契約書は完璧に理解出来ます!っていう人材を育てることが出来るのがこのセンター試験なんです!!っと、ゴール明記されていると分かりやすいですよね。

 極論ですがそういった指針は明確に欲しいですよね。

 

 一般的に日本でも普及し始めたTOEICやTOEFLなんて、方向性が非常に明確で分かりやすい試験です。目的が違うから、問題も内容も全く違うのが前述の試験です。センター試験に変わり、来年以降こういった民間試験が活用されるようですが、これは良いことだと思います。

 

 ちなみに英検。これは多くの日本人が英検なんて日本の試験だし、これが出来るからって英語話せるわけでもないしてことで、ダメ試験の代名詞のように評価されています。しかし私の周りの外国人にいわせると、英検は素晴らしい内容の試験だという声を多々聞きます。全然悪くないようです。

 実際は日本人に向いている試験だっていう評価なんでしょうね。

 

 さてさて、そんなご託を並べようと、私の英語試験の結果はダメダメでした・・・。実は近いうちに密かにスペイン語の勉強しようと思ってましたが、そんなことする前に、もう一度英語を勉強するべきだと痛感したチャレンジとなりました(涙)

 

 同時に勉強とは何歳になってもし続けなければならないと、再認識させられたという意味で、私のとって良いチャレンジでした。