【心を満たす献血バス】
2021.03.27今月中旬、弊社オフィスに献血バスを来てもらい、有志メンバーで献血イベントを行いました。
総務担当者である岡村さんよりこの話が来た際、まさに二つ返事で「是非やろう!」っということなり、この日を迎えました。献血バスに来ていただく限り、最低でも10名は参加すべきという申し合わせ事項があり、この人数を超えるかどうかほんの少し心配はしていました。
っというのも、私は学生の頃から献血バスを見かけると参加していたため、献血に対して前向きに考えていましたが、当然の如くこれは弊社メンバーに強制は出来ません。私は立場上、他の方々に「出来たら参加するように」というコメントすらハラスメントになるご時世ですので、当日まで極力この話題を話すこともしないようにしてきました。
しかし当日、私の想定を超える人数の方々が参加してくれており、失礼ながらイメージとは違う方の参加もあり(笑)、本当に嬉しく誇らしく感じる献血となりました。
勿論献血は個人個人の体質、体調、そしてこのコロナ禍というご時世上、参加したくても出来なかった方もいらっしゃったかもしれません。それでも川口グループとして、この活動は継続していきたいという思いを強く思っています。
実は私、体質的に超が付くほど健康優良児で、インフルエンザは当然未経験ですし、風邪は高校時代以来30年間ひいたことすらありません。当然の如く、入院歴・手術歴もありません。普段から体調が悪いなんてことは皆無な程、常に健康で元気なので、勝手に自分は優秀な血液だとエビデンスもないのに心から自負しています(笑)
そんな私なので、献血をすると、ほんの少しだけ自分の心が満たされ豊かになったと感じるんです。この半ば勘違いは、世の中にとってプラスな勘違いであると信じています。そしてその勘違いは一人では小さくとも、会社のリーダーとして、その賛同者を募れば、それは少しづつ大きくなります。先日このブログに記載した「マッチング寄付」と同じことです。
そしてこれも同じように、賛同者が増えることが何よりも嬉しく、私自身を勇気付けてくれ、更に推進力を加速させてくれます。それが弊社の素晴らしい仲間たちです。こういうことはいつの時代も必ず賛否両論ありますが、それでも良いと思っています。ただ一人でも仲間がいる限り、私の小さな気持ちがより強くなります。強くなれば、必ず誰かの助けになると信じています。
企業の存在価値とは、資本主義社会であれ、営利だけではありません。地域社会に貢献し、世の中の為に、声をあげるだけではなく、実行し続けることが、企業の責任者として最も大切なことであると信じています。その思いに賛同してくれる仲間がいることが、私の誇りであり我が社の最大の強みです。
ソーシャルディスタンスをキープし気を付けながら列をなしてくれている弊社メンバーを見ていると、今更ながら最高の仲間に囲まれていることに、心から感謝する機会を与えてくれた一日でした。献血した400mlの血液以上を輸血してもらった気持ちになるほど、私の心は満たされましたね!!最高に感謝です。
【平成の三四郎】
2021.03.24本日3月24日、突然の訃報に一瞬時間が止まったような衝撃を覚えた。
柔道家 古賀稔彦氏の死去。
私世代なら、誰しも大きな感動という記憶があり、多くの感動を貰った柔道家である。真っ先に思い出されるのが、伝説となったバルセロナ五輪での金メダル獲得。決勝の赤い旗が二本上がった瞬間の彼の雄叫びは、今での多くの方々の脳裏に焼き付いているオリンピック名シーンの一つであろう。オリンピック直前、同僚の吉田秀彦氏との練習での左ひざの負傷。歩くこともできない程の大怪我をした71キロ級の彼は、練習できないため絶食をしながら減量した逸話も有名だ。
そもそも先輩と後輩の関係だった彼らはオリンピックでも同部屋。古賀氏に怪我をさせ、誰よりも責任を背負っていた吉田秀彦氏は、自分が獲得した金メダルより嬉しかったと語っていたし、現に古賀氏の金メダルの瞬間、人目をはばからず号泣していたシーンが忘れられない。実際古賀氏の試合の数日前、吉田氏は自分が金メダルを獲得した夜、古賀氏を気使って相部屋に戻らずリビングで寝たという程、責任を感じていたのであろう。
まさに柔道家という二人のエピソードは、柔道が国技の一つであろう日本人として誇らしく思えるほどかっこいい。
実は私が古賀氏の現役時代、最もかっこよかったシーンは1990年全日本柔道選手権大会での無差別級での試合。31年前であったが、私はTVにかじりつき、夜のNHKサンデースポーツでの特集も鮮明に覚えているほど衝撃的でした。
「柔よく剛を制す」
まだブルーの柔道着がメジャーでない頃、まさに日本的な柔道がそこにあった。当時既に人気のあった世界王者小川直也氏が完全にヒール役となるほど異様な雰囲気の決勝戦。今でいうボクサー井上尚弥がヘビー級チャンピオンに挑むようなもの。結果は破れるが、幾度となく背負い投げを仕掛ける姿に、日本柔道ここに有りを感じさせる感動的な決勝戦であった。
あの決勝戦から31年。自国開催を4か月と迫った今、連日のようにオリンピックスキャンダルに翻弄される東京オリンピック。開催自体が危ぶまれる日本の現状を、病床にいた平成の三四郎の目にはどう映っていたのであろうか。
ちなみに古賀氏、バルセロナ五輪直前の大怪我で歩行も困難な状況で、更に周囲が持つ絶望的な雰囲気の中、彼自身だけは試合への出場辞退を1%も考えていなかったらしい。
心より御冥福をお祈り致します。
【10年前の今日 ~マッチング寄付~】
2021.03.12東日本大震災直後の週末。TVやネットニュースにかじりつきながら、自分に、自分の会社に一体何が出来るだろうというのを考え続けた時間だったことは、10年経過した今でも鮮明に覚えています。
自分自身居ても経ってもいられず、すぐにでも被災地に駆けつけボランティア活動を行うことも視野に入れ、ネットリサーチしましたが、遠い鳥取から東北に辿り着くことすら不可能に近い状況だと言うことがすぐ判明。東北出身の方々が故郷に戻ることすら困難であることから、それも当然だと理解し断念。
そこで思い出したのが、以前アメリカで勤務していた企業でおこなわれていた、「マッチング寄付システム」。10年前の時点では、日本ではまだまだ取り入れている企業が少なかったシステムだ。その「マッチング寄付システム」とは、会社従業員サイドから寄せられた義援金に対して、会社サイドがその同額を上乗せ(マッチング)寄付する制度です。要するに、従業員Aさんが1,000円寄付してくださると、それに対して会社も同額1,000円寄付し、合計2,000円になります。即ち、従業員1,000人が各1,000円寄付してくださり、その合計が100万円になると、会社サイドからも同額100万円をマッチングさせ、合計200万円の寄付が出来るというシステムです。
通常、企業や社会団体等が災害時に寄付金・義援金を募りますが、従業員の方々にお願いするだけではなく、「貴方の1,000円は会社も同額マッチングすることによって2,000円となりますよ」というお願いをし、相乗効果を生みましょう!というコンセプト。勿論ご自分たちの生活を辛くしてまで行う必要はありません。普段飲むコーヒー一杯、タバコ一箱、飲み屋一軒という嗜好品を減らして、ほんの少しでもいいのでお願いしますということが最も大事です。
実はこのシステム、欧米では古くからスタンダードな寄付システムで定着しており、日本でも徐々に増えてきている文化です。
そして今や、国内外での災害時に、我々川口グループ全ての企業一丸となり行っているシステムがこの「マッチング寄付システム」となります。今では災害が起こると、会社メンバーから「マッチング寄付しましょう!!」っという声が自発的にあがるようになってきました。10年経過し、確実の我々の企業カルチャーには浸透したと実感します。そういう意味では川口グループ72年の歴史の中でも大きなターニングポイントでした。
10年経過しても、まだまだ復興途中の東北地方。自宅に戻れない方も多々いらっしゃるようです。そして国内外では毎年のように未曾有の災害が起こっています。何が正解かということは我々には分からないというのが本音ですが、何もしないより何かアクションを起こすことが正解であるだろいうということだけはぶれず、この「マッチング寄付システム」だけではなく、また新しいアクションが起こせるよう日々考えて準備を進めていきたいと思います。
あれから10年。一人でも、そして少しでも被災者の心の傷が癒えることを祈りつつ、我々も成長し今一度何が出来るのかを考え、そして新しいアクションをおこしていきたいですね。