CEO blog

CEO blog

【イチロー引退会見を見て ②】

2019.03.31

 イチロー引退会見で、実は最も衝撃を受けた一つに、「一弓」の名前が出たことだ。これはネット上でも大きな話題になった模様で、共有者が沢山いることを非常に嬉しく思った。

 

 その一弓とはイチロー家の愛犬の柴犬。イチローと弓子夫人との名前から取ったのだろうが、私も10年以上前にイチローのドキュメント番組で見たのが最後だったが、ファンにとっては超有名犬である。

 しかしここ数年、全く近況を明らかにされておらず、正直失礼ながらまだ生存しているとは思っておらず、本当に名前が聞けただけで感動した。

 

 一弓が発端になったかどうかは微妙だが、2000年代アメリカでは結構な柴犬ブームだった。発音は、「シバイ~ヌッ」(イにアクセント)。本当に街で散歩しているオーナーが沢山いたし、シバイヌは今でも普通に英語となっていて、普通にアメリカ人相手に通じる単語。

 私はペット関係の仕事をしているからというより、元々生粋の愛犬家なので、実はずっと一弓のことは気になっていた。10数年前、そのドキュメント番組でイチローの定番朝カレーの後、一弓とソファーで戯れるシーンの笑顔が、今でも目に焼き付いている。まさに勝負師が仮面を脱ぐ数少ない瞬間。

 

 犬の寿命は年々飛躍的に伸びている。私が子供の頃から比較すると、倍近いらしく、小型犬の犬種によっては15歳前後は普通らしい。一般的に言われるその理由は、当然のことながら医学の進歩とドッグフードの品質向上。

 しかしそれにしても、中型犬である柴犬の17歳は凄い。

 

 イチロー会見中、一弓の話題になった際、記者一同和やかな雰囲気になったようだが、逆にイチローは真剣な顔つきだったらしい。私は現時点でまだ引退会見を見ていないので、あくまでもニュースの描写だが、イチローだけ明らかに違ったようだ。

 

 私の見解として、一弓がイチローを支えていた家族だったことは容易に想像できる。私も我が犬に、日々支えられ癒されていることを実感出来るし、自分の日々のエネルギーは我が愛犬から、とんでもない程貰っている。

 

 犬の17歳とは、人間年齢でいう100歳を超えるという。イチローの現役引退を発表された今、一弓が一日でも長く生きて欲しいと心から思う。

 

 一説によると、犬にとって最も嬉しいことは、ご飯の時間でもなく、遊びの時間でもなく、飼い主と一緒に過ごす時間らしい。一弓は17歳と長く生きているが、現実として遠征続きで1年の半分以下しか家にいないMLBプレーヤーのイチローと過ごした時間は、かなり少ないことは容易に想像出来る。

 

 一弓が17年間寂しい思いをしたんであろうこともまた、容易に想像出来る。大きなお世話だが、これからの余生を、少しでも長くオーナーと過ごしてほしいと切に思う。

 

 世界のイチローを間近で支えてきた、陰の最大の功労者でもある一弓にも、心からお疲れ様と言わなくてはならない。

 

 

 

 


【イチロー引退会見を見て ①】

2019.03.25

 まだアメリカ出張中なのでネットで文章で読んだだけだか、やっとイチロー引退会見に目を通した。

 

 読んだだけなのに正直感動しすぎて映像が見たいと思わなかった。見たら涙腺崩壊しそうで・・・。ネットニュース見ていると、リアルタイムの引退会見中継では、やはり深夜に見ながら涙を流す人々が続出したとか。

 

 しかし文章だけでも、この会見がいかに素晴らしかったが分かる。以前はサイボーグのように言われ続けたイチローが、最後に最高に人間味のある会見をしたことに、大きな意義があるように感じたのは私だけではあるまい。

 

 深夜に関わらず、1時間半近くもの長い会見は全てを物語っていたというように、私からしたら後世に残る「伝説の引退会見」であったようにすら感じた。

 

 その全てに共感できる部分、彼が天才過ぎて凡人の私には理解できない部分とが交錯するところまで、その高みと深み感じる。

 

 その中で私の特に強く感じた部分の一つが、最後の彼の言葉。

 

”アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

 

 孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。”

 

 彼は私の何十万億倍ものプレッシャーや苦悩と戦い続けてきたアスリートなので、自分とラップさせることすらおこがましいが、この「外国人」であることというのは、非常に気持ちの上で共有できた。

 

 周りから見ると、海外生活は華やかであったり、憧れであったり、羨望の眼差しで見られることが多々ある。が、しかし現実は、日本で生まれて日本で育って生活をしているときより、楽しいことも多いが、同時に辛く苦しいこともまた多いということだ。

 

 何故ならば、外国では我々は「外国人」であるからだ。イチローが言うように、基本は「孤独」である。家族、親族がそばにいないのだから当然であろう。

 

 海外で暮らしていると、誰しも少なからず差別的な扱いを受ける可能性が高い。私も数多くはないが、やはり同様の経験はあった。嫌がらせをされたり、心無いことを言われたりしたことも多々あった。初対面の相手から、私が外国人というだけで、いきなりというパターンもだ。

 

 しかし今となっては、それも新聞やニュースを見るのではなく、経験したことが自分にとって大きかったと振り返れる。

 

 そこに苦悩や苦しみがうまれるが、同時に他人に対する優しさもより深まる。外から来た人を受け入れる思い、二度と会わないだろう人に対しても、その瞬間を大切にしたいという気持ち。

 そういった嫌な思い出も、今となっては自分の糧となり、ありがたく感じるようになった。

 

 実は私にとって、こういった感性を持てるようになったのは、イチローの存在が少なからずあった。彼の活躍や一挙手一投足が、私の外国生活の大きなエネルギーになったことは間違いない。これは外国生活をしている沢山の日本人が同様であっただろうことは容易に想像できる。

 

 彼の活躍のお陰で 「日本人であることが誇り」であったからだ。

 

 彼の引退会見後の、Facebook等のSNS上での私の友人を含めて外国に住んでいる日本人からのコメントが心にしみる。皆、私と同じだったんだと。皆、彼に助けられ、彼のお陰で頑張ってこれたんだと。

 

 彼の功績は野球だけでなく、沢山の外国人となっている日本人を支えていたことに、誰も異論はあるまい。少なくとも私は、彼のお陰で日本人であることを誇りに生きてきたし、これから先も日本人であることが世界に誇れることだと確信している。

 

 

 

 


【イチローに支えられた25年間】

2019.03.22

 イチロー引退。

 

 一連の流れを見ていると、さすがにその時期が近いなと感じていたところであったが、やはりいざ現実となるとこの一報は過去にない程衝撃的だった。

 

 MLB開幕戦をTV観戦出来たが、第2戦目は出張フライトの為見ることが出来ず。今となってはその出張先がアメリカだったというのも、また何か不思議に感じたが、14時間フライトの後現地空港到着。

 

 この時点で私はイチロー引退ニュースを知らない。いつものように北米用SIMカードを携帯に挿入しネットワークに接続。

 

 真っ先に目に入ったのは、まだ日本で行われている第2戦がおこなわれている試合時間中にも関わらず、MLB公式サイトが「イチロー引退」の第一報であった。

 

 焦ってすぐに日本のネットニュースを確認すると、確かに試合はまだおこなわれている。何かの間違いであってくれ!MLBの誤報であってくれ!と念じ、そわそわしながらアメリカの入国手続きをおこなう。無事入国し、次の乗り換えフライトゲートに移動中に、再度携帯チェックすると「イチロー試合後に引退会見」とのニュースがUPされる。

 

 久々に心臓がバクバクするほど、何とも言えない気持ちになった・・・。

 

 イチローは私より一つ年上の45歳。そう、まさに同世代。10代後半から、自分の生活の一部であると感じるほど、私は彼をフォローしてきた。

 

 25年前1994年、20歳の彼は、まさに彗星のごとくに時代のど真ん中にさっそうと登場した。前年プロ第一号ホームランをあの野茂から打ったとはいえ、無名中の無名選手。しかし日本人なのに名前がカタカタ。これも十分センセーショナルであったが、当時はどちらかというと、パンチ佐藤の方がカタカナネームの先行的な感じであったと記憶している。

 

 しかしこの20歳は、この年とんでもない成績を残し、一気にスターダムにのし上がる。普段は当時流行り始めただぼだぼファッションのいまどきの若者を、日本スポーツ界からハングリー精神文化を失くしたと揶揄する大人も多くいた。

 

 彼の試合を初めて肉眼で観戦したのが翌年。それから虜になり、毎年のように試合を見に行った。そして後年伝説となった、イチローVS松坂の伝説の初対決を見るために所沢まで行ったりと、まさに彼の一挙手一投足に注目していたた。

 これは私だけではなく、90年代の日本スポーツ界は間違いなく彼が中心であった。それは野球人気に陰りが出始め、Jリーグ開幕に湧くサッカーブームに真っ向から立ち向かうべく新しいヒーロー像。ON以来、やっと日本野球界にスーパースターが登場したからであった。

 

 私は子供のころから、それこそ勉強もしないで野球ばかりやっていた。世代的に、原・江川がヒーローであった世代だが、イチローの登場は本当にセンセーショナルであった。そもそもホームランバッターではない彼が、スーパースターになることは当時考えられなかった。

 

 私が大学生の頃、一緒に野球をしていたチームのエースが鹿児島出身だったんだが、肩を壊しつつも非常にいい投手だった。そんな彼にいつも聞かされてた自慢話が、イチローと練習試合で愛工大名電と対戦した時のエピソードだった。

 

「俺の渾身のストレートを、イチローは軽くバックスクリーンに打ち返しやがった!あんなに細いのに、とんでもないスイングスピードと打球だった。でも、あんなに飛ばされたことなかったから、打たれた瞬間笑いしか出なかったわ。俺のストレートは速いって(笑)。まあ、バケモンだと思ったね。」

 

 練習試合とはいえ、一緒のグラウンドで試合をし、彼と対戦したことが羨ましく、皆から羨望の眼差しであったことを記憶している。

 

 兎に角、彼には華があった。打っても、走っても、投げても、それこそヒーローインタビューにすら、皆魅了された。要するに、何をやってもカッコいいんだ。

 

 そして私が渡米した翌年の2001年、彼はシアトルマリナーズに決定。本当に鳥肌立つほど嬉しかった。あのイチローが自分の住んでいるアメリカにきてメジャーで試合をする!この興奮は言葉に表現できないほどだった。

 

 当時は学生で金もなかったため、シアトルに行きたくても行けずだったが、ちょうどその年、私の住んでいたサンディエゴにてパドレスとの交流戦3連戦があり、3試合のチケットを借金して購入。

 

 アメリカMLBの試合で、生イチロー観戦!結果3試合ともフル出場で大活躍。当時のシアトルはMLB伝説の最強チーム。その先頭にイチローがいた。

 

 私も渡米し、外国人となりアメリカでの生活環境や英語に苦労する毎日の中、球場でも見るとひときわ小さいイチローが、巨漢アメリカ人たちをなぎ倒す姿に、涙が出るほど勇気付けられた。がんばろう!がんばれる!!っという思いは何度も何度も彼からもらった。

 

 2006年と2009年のWBCは、まさに私の中でイチローのハイライト。アメリカで行われた試合は、会社をさぼって全試合観戦。

 

 2006年第1回WBC。アメリカ本土初戦相手は、その野球の母国アメリカ。アメリカとのプロ野球としての公式戦は史上初。今と違い、当時は勝敗を予測することすら恐れてしまうドリームチームが相手であった。ジーターやAロッド。

 その完全アウェイの異様な雰囲気のスタジアム。日本選手は恐らくこの雰囲気に飲まれていたであろう。相手がアメリカで、スタジアムもアメリカ。日本人ファンなんて、1%くらいであっただろう、このスタジアムの威圧的な雰囲気を忘れられない。スタンドの私も、完全に孤立し周りのアメリカ人から嫌な目で見られているのを肌で感じた。

 

 試合開始し、先行の日本のトップバッターイチローが打席に向かう。当然のごとく大ブーイング。私の肩身も益々狭くなる・・・。観客のアメリカ人は、日本なんかに負けるなんてこれっぽっちも思ってなく、20 vs 0 くらいになると信じている自信満々の顔。今と違いそんな時代だったから当然だ。

 

 後のプレイで有名になったアンパイヤ、ボブ・デービットソンよりプレーボールの声がかかる。スタジアムのアメリカ人ファンのボルテージはピーク。「USA!USA!」割れんばかりの大合唱と共に、ピッチャー第一球を投げる。

 

 その初球、イチローの刀が動いた。打球は一直線にライトスタンドへ。プレーボールホームラン。しかもWBC本戦の開幕試合だ。静まり返るアメリカのスタンドで、私だけが狂喜乱舞。こんな快感ってあるんだろうか。真のヒーローってこうもかっこいいんだろうかと思った。俺たち日本人は、アメリカ人に決して負けていない!あのスタジアムで同じ場面を過ごさせてもらったから、感じる事の出来た、本当に私の人生にとっても大きなシーンだった。

 

 そして、その後このWBCも紆余曲折あり、我が日本チームは初優勝に辿り着く。決勝戦後、なんとイチローがネット越しに手が届くほど近くまで来てくれ、興奮した私は「イチロー世界一!!」っと、叫んだ。そしたらなんとイチローが、「ありがとう!」って笑顔で手を振ってくれた。あの時の嬉しさは、優勝した興奮以上の興奮だった。

 

 そして2009年第2回WBC決勝、伝説のイチローの延長戦決勝タイムリーヒット。当然のごとく私は会社を早退し、三塁側ベンチ上で観戦。

 

 周知のとおり大接戦の末、イチロー伝説の極みともいえる決勝タイムリーヒット。

 

 あの伝説のセンター前ヒットの直後、我々を含むスタンドの日本人は、まさに狂喜乱舞。ほとんどの日本人は知り合いだろうが知り合いじゃなかろうが、みんな涙を流し抱き合っていた。あんなに嬉しかったことは、私の人生でも数えるほどしかないだろうと断言できるほど、本当に本当に嬉しく興奮したし、あの状況は今でも鮮明に覚えている。

 

 結局今思うと、この伝説の一打が、私が肉眼で見た彼の最後のシーンだった。

 

 あれからもう10年。イチローだけは、終わりがないんじゃないかと思えるほどの選手であった。現在のMLBは30歳を超えるともう契約が取れないほど、若年化が進んでいる。しかし彼には本当に50歳までやるんじゃないかなと思わせる何かが彼にはあったからこそ、引退という現実を受け入れることが出来ない。

 

 だからこそ、イチローロスだ・・・。

 それだけ彼は偉大で、我々世代に25年間も感動や勇気を与え続けてきた。四半世紀に渡って第一線でヒーローであり続ける人物ってその先も現れるのだろうか。

 

 ホテルにチェックインし、TVをつけ、ESPNを見ると、丁度イチロー引退のニュースをやっていた。アメリカのニュースに出るなんて、やっぱり凄いことだ。このニュースをまたアメリカで見るということも、私自身何か不思議な運命を感じる。

 

 私のアメリカ生活の一部にイチローはいてくれた。私の一方的解釈だが、何度も何度も彼には助けられた。挫折しそうになっても、ESPNに彼が少しでも映ると翌日からの勇気になった。イチローを感じながら、イチローに支えてもらいながらの四半世紀。

 

 もうイチローのプレーは見れない・・・。

 

 どうやら当分イチローロスだ・・・。